妻と地図の話
僕の妻は臨床心理士だ。多くの人の苦しみを受け止め続けている。出会った時には彼女はセラピストの卵であり、大学院に通っていた。そんな彼女に小説家志望の僕は、『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』の著作の話からはなしはじめた。
そんな彼女もキャリアを重ね、概ね僕からみて充分に臨床心理士と言える経験を積み重ねてきた。でも彼女は実際のクライエントとの面談の場で力を発揮するタイプで、事前にあれこれ考えすぎて整理しきれないことがある。
そういう時にいつも誰か優れた人が彼女の話を聴いてくれたらいいのだけれど、いつもそういう人がいるわけではない。彼女ほど人の話を聴くことがうまい人には出会ったことがないと僕は思うけれど、そんな彼女もどこかでは誰かに話を聴いてほしいこともある。
僕も彼女と出会って、いろんな話をして、そして自分の小説を書いてきたところがあるけれど、明確なヴィジョンのようなものはなかった。彼女はあくまで聴き役であり、混乱した僕のストーリーをどこまでも聴いてくれた。やがて僕は自分の中に眠っていた物語をいくつかの小説として発表することになった。でもそれは彼女がいたおかげだ。
臨床心理の心理テストには自分の心の中の樹を描く、”バウムテスト”というものがあり、描かれた樹がその人のことを顕したものになるという。どんなにこれは巨大な知恵の木になるんだと言葉で説明しても、実際に描かれた樹は傷ついてぼろぼろかもしれない。描かれた樹と、語られる木には違いがあり、その差もその人を顕している。
僕が根本的に小説は現実の体験なしに成立しないと思っているのは、小説を書くことは、この樹を描くことだからだ。どれだけ素晴らしい物語だと語ったとしても、実際に書かれた物語が僕自身の物語だからだ。
妻の話に戻す。
妻は僕なんかに話を聴いてもらうよりも、もっと専門的な領域にだんだんはいっていくことになった。だから彼女にアドバイスできるくらいの尊敬できる師という人にはなかなか出会えなかった。でも僕に話を聴いてもらいながら、彼女は尊敬できる師と呼べる人と出会った。
彼女の師は、彼女に「地図」を書きなさいと言った。
彼女はある時には紙がボロボロになるまで、クライエントとの面談の前に地図を書いた。そしてそのボロボロの地図ではどうしようもない時だけ、師に助けを求めるようになった。それはまるでいつか私がそばにいなくなってもやっていけるようにと、彼女の師が教えているようにも僕には思えた。
小説にも同じようなところがある。曲作りもそうだ。うまくいく時には悩む必要はない。紙は綺麗なままだ。でもどう書いていいかわからない時に、紙はボロボロになり、ぐしゃぐしゃになる。そういう地図を何枚も書いて、彼女はクライエントに語る言葉をみつけようとしている。
一生懸命、地図を作ろうとしているうちはいい。わからないところから答えを見つけ出す。それが地図を書くということであり、小説を書くということだからだ。そうでなければ、いったい誰が地図を(小説を)書こうとするだろうか?
僕は自分の物語を語りつくしたところがある。大きな迷いもないし、小さな物語とそして友だちと曲作りをしながら、妻と話をし、そして仕事をしていけたらいいと思っている。
心の中にフィクションが必要な時はあるし、今の僕はそうではない。だから妻の地図の話から、またエッセイを書こうと思った。願わくば、これから自分の地図を書こうと思う人のために。
迷いながら書いてきて、「いったい書くことがなにになったんだい?」という人もいるかもしれない。でも僕の中にはこの世界を照らす地図があるとわかっているし、うまくいけば誰かの道案内ができるかもしれない。
誰か迷える人に僕の地図が届けばいいけれどね。