コンフリクト
静かな朝だ。月を眺めながら、大きな国道の脇の歩道を歩いている。誰もいないコンビニ。閉じているガソリンスタンド。そして月。月と僕がいる空間は同じようで同じではない。この道の先は決して月には辿り着かない。空を眺めながら、そういうことを思う。静寂は、どこか遠くから来た運送会社のトラックや、どこか遠くへ向う400ccのバイクの疾走音に切り裂かれる。国道はパイプの中のように、ただ人やモノが流れている。遠くから遠くへ。その血管のような管を歩いている。どこかから来て、どこかへ行く。空からみれば、短い距離を歩いているだけだ。あの月がここからだと変わらず、一定の周期で同じ顔をするように。
冬の冷気の中で、白い息を吐く。またトラックが走っていく。空はだんだん明るくなってきている。少しずつ朝が近づいている。24時間営業のファミレスの駐車場は、そんなに車が停まっていない。
道の向こうに何を作っているのかわからない古い工場地帯がみえる。動いている機械の油の匂いがする。町と町の間で、工場で夜中じゅう、何かが生産され、トラックが生産されたものを運んでいる。いったいその機械は何を作り、どこへ運ばれていくのか。わからない。きっと何だって、誰だってどこかで生まれてどこかへ行く。けれど僕を運んでくれる人はいない。だから自分で歩いている。
いくつもの閉まっている店がある。それらは開店の時間を待っているだけだ。けれど僕は思い浮かべる。何もかもをおいていって、みんなどこかへ行ってしまったと。そういう想像をする。けれど、この道を時々走る車のせいで、思い浮かべる想像は簡単に打ち消される。何かを思い浮かべるには、静寂が必要だ。けれど、僕は静かな場所なんてひとつも思い浮かべることができない。
4車線の道路の向こう側で散歩をしている人がいる。僕とその人の間には中央分離帯があって、ちょっと挨拶をするというような距離ではない。時刻は5時36分。夜は明けそうで明けない。国道の高架を越えて歩く。朝からジョギングをしているランナーとすれ違う。そしてまたコンビニがある。僕はそのコンビニを通りすぎる。
歩き続けていると、ようやく僕はいつものように想像の世界に入りこむ。時間は巻き戻されて真夜中で、高速道路を赤いクーペが走っている。地面のグリップを逃がさないように少し車高が下げられている。車には女が乗っていて、カーブに合わせて、アクセルを緩めたり、また踏んだりしている。高いヒールを気にせず運転している。女はバックミラーやサイドミラーをちらっとみると、ゆっくり走っている車を追い抜くために車線変更をする。まわりの車に威圧感を与えないように注意している。女は忙しくマニュアルシフトのレバーを変え続ける。加速し、減速する。都市はビルとビルの間に管のようなハイウェイを通している。モニュメントのような都市を走り続けるオブジェクトのように、走り続けている。女もどこから来て、どこへ行くのかわからない。ただ走ることだけが、与えられていることだ。車のスピーカーからは、ローリン・ヒルの”TO ZION”が聴こえている。もう古くなったR&Bの曲だ。女はきっとどこか遠い世界へ向っているのだろう。その場所では、人々はいつまでも若く、老いることがない。アクセルを踏んでも、ブレーキを踏む必要がない。
直線に入ると女は深くアクセルを踏む。デジタル表記の数字がどんどんあがっていく。高速道路の白点線は、一定の速度を越えるとただの白い線になる。女はそのことを知っている。線と線にある間が消えていく。ひと筋がどこまでも延びていく。そのラインに女は車のタイヤを沿わせ続ける。寸分の狂いもなくグリップをコントロールしようとしている。風の音が窓を閉めているのにも関わらず、強く聴こえる。そしてカーブが迫る。
女は最小限の減速でそのカーブを曲がりきる。神経を休めることなく、どこまでも走り続けることを考えている。
今日の仕事に収穫がなかったと女は思う。いくつかのデザインの案に目を通し、その中でいちばん優れたものを考える。けれど、女が美しいと思うデザインはない。プログラムの美しさを眺めていたほうが、よっぽど感じるものがある。デザイナーにはデザイナーの哲学がある。けれど、多くのデザイナーはプログラムの中身まで考えることができない。だから、女が退屈だと思うデザイナーは、その表面的な美しさにだけ目を向けて、中を通る電気信号のようなものまでは考えない。そういうことに苛立ちを覚える。数学的な美しさを理解できるデザイナーを見つけなければならない。任されているプロジェクトの達成には、必ずそういう才能が必要だ。しかし、時間だけが過ぎていく。
都市を抜けると、高速は凡庸な直線だけの道に変わる。女はカフェインの錠剤を齧る。眠らずに走り続けるためだ。車の音楽をアップテンポの激しいものに変える。精神に刺激を与え続ける。女がしている仕事も、女がとっている行動も、そういう類いのことだ。ただ刺激を与え、それを続ける。消費者が欲しいと思うものを組み上げる。何もない場所から、どこでもない場所へ、デジタルの信号で伝わるオブジェクトを生産する。スマートフォンやノートブックPCの画面でも、見ればクリックしてしまう。触れればダウンロードしてしまう。そういうものを生み出す。それが女に与えられた役目だ。女は組織のパーツであり、女もそのことを自覚している。ただ他の人間よりも、少し権限があるだけだ。そして権限には責任がともなう。それでもスピードをあげ続けなければ窒息してしまう。
その交差点で僕が見るのは、赤いクーペがまるで映画のようにクラッシュする場面だ。目撃者は僕ひとりしかいない。赤いクーペは高速を降りた後もスピードを緩めることができず、中央分離帯に乗り上げ、クラッシュし、一回転してガードレールにぶっかって停止する。僕はそのガードレールの向こう側にいる。僕にはかすり傷ひとつつかない。けれど目の前で事故が起きる。僕は自分が想像していたことが、目の前で現実に起きるということにとても驚く。数時間前までは、はるか向こうの場所にいたその女が、目の前で死にかけている。僕はそして携帯電話の1と1と9を押す。