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書けるかもしれないと思うこと

村上春樹さんが30歳で作家になったと知った時から、僕も30歳で作家になろうと思っていた。実際、25歳で雑誌の編集者になることができたし、仕事を辞めてからもまだ夢みたように作家になれると思っていた。

もちろん現実はそう甘くはなくて僕は精神的な病気を抱えながら28歳くらいで、最初の小説「C」が書けただけだった。

今、48歳になり20年くらい書いてきた。主に小説、エッセイといったところか。文章は年齢を重ねるとうまくなるというものでもないから、実際に20年でどこまでこれたかな?と思うことはある。

さて、本題。

昔はこういうものが書きたいというイメージやマテリアルがいくつかあって、そして小説を書いていた。それらはある時期から自分の人生にあったものだ。20年くらいかけて自分の中にあったものをすべて吐き出すように書いた。書き始める頃に病気になり、だいたい考えていたことが空っぽになるまで書いて、そして僕は普通の人間になった。

今、僕は空っぽだ。これまで作品を書いてきたという自負と作品があるだけで、特に何も持ちあわせていない。ただの男だ。

空っぽだから昔みたいに何を書いていいかわからない。再び自由がやってきている。

数日前、友だちが作った曲に歌詞をつけてくれないかと言ってきた。凄くポップな曲で、どんな歌詞がいいだろう?と思った。何度か曲を聴いているうちに、silenceという単語が降りてきた。そしてその一単語からイメージを広げていった。英語の歌詞だが、書いた歌詞は実際に僕の作品とはっきりわかるものだった。

空っぽになった今だから、はっきりわかる。

書くことは書けるかもしれないと思って書き始めた時に、最後まで書けば完成するのだ。

大切なのは書けるかもしれないと思うことだ。

0からとにかくひとつの単語でもいい。何か言葉にしてみる。まずピアノを弾いてみるみたいな執筆だ。

この方法はすべての人にあてはまるかわからない。最初にまず作品のすべてがありありとイメージできているという人もいる。でも少なくとも僕の場合は、まず書けるかもしれないと思うことだ。

何か書けるかもしれない。そしてそれは特別な何かだ。そう信じることが、作品を高みに連れていく。

まず0を1にする。僕の好きなことはこのなんでもないところに作品を生み出すことだ。

だからなんでもない状態のところに、また優れた小説が書けるかもしれないと思うことが大切だ。

頭の中ではあれこれ考えている。でも、まだ書けるかもしれないというものは出てきていない。

短い小説や歌詞やエッセイなら書けるかもしれない。でも1冊の電子書籍になるようなものは、まだ自分の中からは出てこない。長い小説を書く場合、しかもそれが完成度も必要とする場合、もの凄く素晴らしい作品が書けるかもしれないという予感が生まれなければならない。

誰かの小説を読んで、自分も小説が書けるかもしれないと思うこと。それが作家への第一歩だと思う。

作品を生み出すには、予感が大切だ。後は予感を頼りにやってみればいいだけなのだ。

48歳になって、小説を書けるかどうかという問題とともに、生きていけるかどうかという問題も普通に理解できるようになった。小説を書いて、生きていけるか?

これくらいの作品を自分も書くことができる。その予感に従えば、作品は書くことができる。

そのうち問題は、どう生きるのか?という問題にすりかわっていく。それが年齢を重ねることの難しいところだ。

自分は充分に書きたいものを書いた。そして満ち足りる。

でも人生はそこで終わらないし、書くことも終わらない。

作品を書くごとに、次の作品を書くことができるか?という問いの中に引き戻される。

次の作品を書くまでに、また心の底から小説を書きたいと思うことが大切だ。

そして書けるかもしれないと思った時は、その感覚を頼りに書いていく。

長い作品はそれなりに意義があるものでなければならない。

正確には、書く意義があると思うものを見つけなければならない。

書き始めた時には、意義なんてわかっていないし、あるのは予感だけだ。

そして予感が書いていくと真実になっている。

そういう小説を、また書くことができたら。

20年書いてきて、わかったことは書くことができるかもしれないと感じることだ。その感覚はある時にやってきて、僕を文章の世界へ連れていく。

そして書いている時、僕は自分が文筆家であるとわかっている。