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精神的な結婚の話

僕は高校生くらいの頃、高橋留美子のファンだった。特に「めぞん一刻」が大好きで、何回繰り返し読んだかわからない。もちろん繰り返し読みすぎて、だんだん読まなくなっていくのだが、今でもふとした時に思い出す。

自分で小説を書くようになって、どうやら物語というものはその時、その時にしか書けないものらしいということがわかってきた。作者がその時抱えている問題や事象が作品にあらわれてしまうのだ。

もちろんすべての創作物がそういうものではないことも理解している。作者の実人生と関係なしに作品を書くことができる人もいるだろう。でも僕はそういう時に高橋留美子さんの「めぞん一刻」を思い出すことになる。

僕は高橋留美子先生の実際の人生にそれほど詳しいわけではない。でも「うる星やつら」や「めぞん一刻」のヒロイン・ラムちゃんや、音無響子さんが、どこかで作者の分身だったのではないか?ということを考えずにはいられない。

つまり高橋留美子という人は、まるで漫画と結婚したような人だと僕は思うわけです。

若い時の精神エネルギーみたいなものがあったとしたら、そういう若い時の精神エネルギーを、そのまま漫画に描いてしまったのではないか? 僕はそういうことを考えてしまう。

僕は不勉強で高橋留美子先生の作品を「らんま1/2」以降はそれほど読んでいない。どう言えばいいだろう? かの人の初期作には、かの人の青春がそのまま含まれていて、それが作品の中で成就しているとすら思うからだ。

話を自作に展開する。僕は結婚前に「Symphonic Love」という作品を書いていた。そしてこの作品が自分の結婚と関係があるということに気づいた。

「We should fall in love」という作品と「Symphonic Love」という2つの短編から「Symphonic Love」という作品は成り立っている。このふたつの作品とその次の作品「awake」という新婚旅行小説の3つの作品が、だいたい僕の結婚前後の作品だ。そしてもちろん、実際の結婚以後は結婚の話は書いていない。

もちろん、作者が実人生を遠く離れて、次の恋愛とか次の結婚とかもあくまでフィクションとして書ければいいのかもしれない。でもその場合、その作品を書く本当の動機はなんなのか?という問題が作品を書く時に出てくる。

つまり実際の人生と作品は、完全には別のパラレルワールドには成り得ても、その動機の部分で、完全に嘘を書くということが難しいのだ。作品は虚構だが、その精神的エネルギーみたいなもので、完全に別世界をつくることは難しい。

話を高橋留美子さんに戻す。

高橋留美子さんの中で、漫画というものが生きる糧となり、作品の中で高橋留美子さんが生み出したキャラクターは結婚する。それは読者からすれば、圧倒的ハッピーエンドであり、物語はその後まで描きながら、幸せというものに辿り着いて終わる。

高橋先生はしあわせになったのだろうか? それはわからない。でも作品の中に、作者のその時の精神エネルギーみたいなものは残っていて、だから読み継がれるのではないだろうか?

高校生の時の僕は、漫画の中で管理人さんに恋をし、そして成長していったのだと思う。

あらためて漫画というものは凄いなと思わずにはいられない。