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コントロールを手放して

人は他人を、自分をコントロールしたいと思うものなのかもしれない。僕自身の場合、10代のうちにコントロールするということに関心がなくなった。スケジュールを細かく決めて時間を割振り勉強をするということに疲れてしまったのだ。中学生の頃だったと思う。

高校生になって、さぁバンドをしようと思った。そして下手なりにバンドを組んで演奏したりした。でも今思い返せばコピーバンドだったけれど自分に選曲のセンスもないし、技術もないし、恥ずかしい立派な黒歴史である。何も記録に残っていないことがありがたい。

大学生になった頃、世界が広がり聴く音楽も垢抜けてようやく自分自身というものから少し抜け出せたという気持ちになった。そしてオリジナル曲の制作にいそしんだ。

このオリジナル曲を作るというのがなかなか難しい。もちろんなんの影響も受けていないオリジナルなんてものは難しいのだけれど、車の運転みたいに一度覚えればできるようになるもののようだ。その最初の1曲、オリジナルを作ることが難しいのだ。

ここでコントロールの話が出てくる。オリジナル曲を作るには、コントロールを手放すことが大切なのだ。

たとえば夢について考えてみよう。夜みる時の夢だ。この夢というものはコントロールできない。そのコントロールできない部分に自分の無意識がある。

従来の国語教育では、作文に型をつくり、その型をなぞりなさいという教育をした。だから本当の意味でオリジナルな文章を書ける人が、とても少なくなってしまった。

話を曲作りに戻す。僕が手にしていたのはギターだったから、曲作りとはまずリフを作ることだった。

リフとかフレーズとか、そういう曲の断片みたいなもの。そういうものを作る。

そういうものをいくつか作っていって、組み合わせる。パズルみたいなものだ。そしてそのパズルみたいなことをバンドメンバーみんなでする。

だいたいこれが僕の曲作りだった。

妻は臨床心理士でコラージュ療法の専門家だったから、僕の作曲法は彼女の言うところのコラージュアート的だなと僕は後で思うようになった。

コラージュとは雑誌やカタログなどから断片をいろいろ切り抜いて好きなパーツを作り、ペタペタ貼って組み合わせで絵を完成してしまうことである。

ここで大切なのは完成させることであり、その他いっさいは考えない。

曲と絵は違うものだけれど、曲もパーツの組み合わせでできている。そしてコラージュは複数のパーツから成り立っている。そしてギターのリフやフレーズというのは、どこかで聴いたことがあるというものを無意識に覚えていて、知らないうちにひっぱりだしているものかもしれない。

Radioheadのトム・ヨークの話をする。トム・ヨークは「OKコンピューター」というアルバムを作ってから、電子音楽的なアルバム「KID A」の制作途中で、言葉を切り刻みバラバラにしてそこから引っ張り出して組み直して歌詞を作ったらしい。

創作するなかで、コントロールを手放すということがどれだけ大切かというエピソードだ。

つまり、音楽も小説も作曲も、設計図みたいなものを作れと学校では言うし、会社みたいなところでも、設計図の話になるが、よりクリエイティブになる時には、コントロールを手放すべきなのだ。

意識。自分が自分であるという意識を超えた部分に無意識の領域があり、その無意識の部分は膨大な過去の記憶が貯蔵されているのでは? と僕は仮説をたてている。

その過去の記憶から出てくるものに、良いとか悪いとかフィルタリングするのが意識だ。

子どもの頃からいろんなものに触れていないと、このフィルタリングが働かなくなってしまう。

この部分を僕はセンスと個人的に呼んでいる。

話を村上春樹さんの処女作「風の歌を聴け」へと移行する。春樹さんは自著を日本語で書いて、ぴんとこなかったらしく、英語で書き、そして翻訳することで自分の意識(日本的な意識といってもいいかもしれない)から抜け出すことができた。この過去の日本と繋がった意識から抜け出すのに、みんな苦労するようである。

つまり、音楽も小説も絵画も、既存のものから抜け出したいけれど、その方法がなかなかわからないのだ。

この最初の壁をどうやって乗り越えるか? 僕の場合は、そこにバンドがあった。

こういう曲作りについて理解できたのが20年以上前で、それを言葉に置き換えて書いている。

もちろん作る前にこういうものを作りたいというイメージは少しはあるけれど、それは深いところに潜るための最初の一歩にすぎない。