2026年にサクラダファミリアが完成するという。
アントニオ・ガウディが設計をしてから没後100年という話だ。
100年。なんという悠久の時か。
今このご時世を考えると2026年になんというか、そんなにめでたいことがあるんだなんて微かな希望を感じてしまう。それくらい世相は暗いと思うし、なんだかバブルだし戦争しているし、怖いですね。
僕はだいたいスピリチュアルな争いの元で小説を書くことが多い。
昔からあれこれ想像したり、考えたりすることが好きだったということもあるけれど、
村上春樹さんが言うように、小さく語られる良いニュースや悪いニュースに耳を澄ませているからだ。
世の中には大きな流れというものがある。歴史などを考えても、この大きな流れに逆らうことなんて、
きっと誰にもできない。
僕が2015-16年に自分たちの新婚旅行を題材にした超越的旅行小説「awake」を書いた時、今、現在進行形で起きているIT社会の震源地であるシリコンバレーに実際に行ってみて、何か書かなければならないと思った。
僕は新婚旅行をスピリチュアルなものとして捉えていたし、初めての海外でうかれていた。
でもその年はブレグジットやトランプの当選などがあり、僕の感じたものはどこか逆風にさらされていると思った。そして、僕は今からしばらくは過渡期なんだと考えた。
大昔、僕は村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」を読んでかの人の読者になったわけだが、何がいちばん好きかと言うと第3部の「予言する鳥編」という副題だ。
僕は大学浪人をしていた時に第1部と第2部を読み、第3部を待ち望んだ。
そしてようやく読むことができた第3部には、インターネットのことが書かれていた。
当時、それは小さい声で語られるニュースに思えた。でもそういう小さいニュースが未来を顕している時がある。
話をサクラダファミリアに戻す。100年かけて建築された聖なる教会。
その完成はめでたいものであるはずだ。
僕が今日感じたことは、ひょっとすると2026年ごろには、今の世相がよくなっているかもしれないということだ。
過渡期が終わり、何か新しい世界がはじまるんじゃないか? そういう予感がする。
こういうことは事実だけを捉えても、意味をなさない。
春の訪れのように、あと2年ぐらいすれば世の中よくなっているかもしれないという小さな希望。
あと2年したら、世の中が良くなっているかもしれない。
小説を書いていると、実際どうだろうなぁということが、書きながらありありと感じられる。
僕はここ数年は「United Future Organization」を書いていたから、世の中の変化に驚くことはなかった。
むしろ予言するSFとして書いた作品が、売上として”あたった”わけではないけれど、
予言としてはいい線いっていたんじゃないか?なんて考えている。
アントニオ・ガウディ様。どうか、良い時代へお導きください。