朝、4時30分ごろに目が覚めて近所を軽くジョギングし、昨日買ったエスプレッソを飲む。これが僕のモーニング・ルーティーン。そんな優雅な朝が毎日だったら良かったのだけれど、僕は未だ起きる時間が朝3時ごろ〜8時ごろとまちまちだ。自分の生活習慣が安定していない。
天才はその人なりのルーティーンを持っているなんて話を聞くこともあるけれど、自分のライフスタイルがあればいいと思う。だいたい結婚をして仕事が安定してきたりすると生活習慣は定まってくると思うのだけれど、僕はまだ揺れ動いている。
10代、20代と人生をくぐり抜けてくる中で、その時にはわからない多くのことがある。
たとえば恋愛。10代なんて好きな相手と話すことも大変だったと僕は記憶しているけれど、恋愛に苦労しない人もいるかもしれない。どうしても人間には個人差があって、恋愛の傾向も違う。
概ね僕の少ない恋愛経験から言えば、僕は恋愛の延長に結婚があると考えるタイプだった。浮気はしたくないタイプだったし、一途なタイプだった。でも仕事はそんなに好きじゃないタイプだった。
でもこういう自分自身みたいなものがわかってくるのは歳を重ねてからではないだろうか?
たとえば仕事がそんなに好きではないと僕は自分で自分に言っているが、リモートワークの仕事は好きだ。そしてMacを使う仕事は好きだ。だからすべての仕事が嫌だと言っているわけではない。
恋愛についてもそうだ。僕は結婚を前提としてしか恋愛をしないタイプだったが、結婚というものが何かわかっていたわけではない。たとえば男性が女性を完全に養うというような家庭のあり方は考えとしてなかった。概ね、伝統的な家庭観というものは、僕は好きではなかった。
多くの人が、様々な恋愛をしたり、転職をしたりするのは、自分が幸せになれる場所を見つけるためだと思う。
そしていろんな経験を積みながら、自分自身を成長させ、いつか自分自身というものに出会っていくのではないだろうか?
たとえば僕は満員電車が嫌いだった。仕事でいちばん我慢できないことは、仕事に行く前に満員電車に乗らなければならないことだった。この苦痛をどうにか避けるためにリモートワークが登場するまで、僕は地元近辺の車通勤可能な空港とか、バイク通勤可能な学校とか、とにかく都市の中心に行かなくていい仕事ばかり探していた。これはかつて長距離通勤で疲弊した経験があるからこその意思決定だ。
人は自分がどうしても我慢できないことを続けることはできない。適応できる人もいるだろうけれど、僕は適応したくなかった。だからITの勉強をしたといってもいい。
20代の頃は満員電車も我慢したし、なにごとも経験だった。自分自身に力がないうちは誰かに教えをこうしかない。まだ確固たる自分というものが定まっていない。だから経験を積むことが必要だった。
今の時代はスマートに検索してなんでも自分の力で学びとれる人がいるのかもしれないが、僕は社会を知る必要があった。そして僕自身の問題に分類されるものと、社会の側の問題だったと思い返せるものがあり、社会の変化もあって今の自分の場所に落ち着くようになったと思う。
人生の葛藤が書くべき小説の中身となり、働きながら書いてきた。
物語の中には社会に対する批判精神もあったかもしれない。
でもそれらは自分がどう幸せになりたいのかという長い旅だったと振り返ると思うんですよね。
たまに早起きすると、人生について思索する優雅な時間がもてます。