短編音楽小説#19 Rhye -please-
「俺たちがどういう関係にあるにせよ、ここには美しい音楽が響いていて、君はその音楽を聴くことができる」
僕がインタビューの途中である程度ぼかしながら核心に触れると、マークはそう言った。
ハミルはピアノの椅子に座って、何か音楽を弾こうとでもしているかのようだった。でも彼は僕のためには何も弾いてくれなかった。当然だろう。突然あらわれたインタビュアーのために、即興で演奏してくれる音楽家なんて、なかなかいない。
僕が彼らの音楽を聴いたのは、妻と結婚し、新しい音楽を求めながら、新しい音を見つけることが難しかった日々の後のことだった。妻との結婚によって、僕は愛をみつけたが、同時にいろいろなものを失っていた。
僕はホテルの一室で来日した彼らにインタビューを試みていた。自分の中にある何が彼らへのインタビューへと駆り立て、今日この日を迎えたのかわからなかった。マークとハミルの間にある特殊な音楽は、一度聴いただけで僕の肌を逆立て、虜にする類いのものだった。しかしその秘密を言語化することは容易ではなかった。
容易ではなかった?
いや、おそらくはそうではないだろう。それをはっきりと言語化することに自分の中で躊躇いがあったのだ。
僕はマークとハミルにむかって話す。
「例えばビートルズの音楽は特殊な音楽だと僕は考えているんです。今となっては特殊とは言えないかもしれない。でも彼らの間には、誰もが望むような特別な邂逅があり、その結実としての音楽があったと僕は思います。そこにある共同体的な理想は今ではどこか遠い世界の幻想のように思えます。でも美しさとはひとつの形としてだけあらわれるわけではない。あなたたちの音楽には、触れてはならない秘密があるように思えます」
僕がそう言うと、ハミルは笑った。
「僕は簡単なことだと思うな」そうハミルは言った。
「マークのリズムは特別なんだ。彼のリズムの些細な変化が僕の音楽に変化を与える。それは連動というものではない。わかるかい? 彼のリズムと僕のメロディはひとつの音楽になることを望んでいる」
そうハミルが言うと、マークが少し険しい顔をして僕に言った。
「さぁ、インタビューは終わりだ。俺たちは日本をもう少しそのままの状態で楽しみたいんだ。君のインタビューによって深い思考の中に入りこんでしまうよりも、ただ日本という国を感じたい。そういう気持ちってわかってもらえるだろうか?」
僕は即座に言った。「ええ。わかります。何か考え事をしながら異国を楽しむよりも、そのまま肌で色んなことを感じたいということですよね?」
マークは「まぁ、そういうところだ」と言った。
そこから音楽の話に戻ることはなかった。通訳者を交えて、日本の料理について質問があり、談笑したりしただけだった。でも、僕が考えていることは違った。このインタビューから生まれる原稿のことだけを考えていた。どういう書き出しで書くべきか、どう本質に切りこんでいくべきか。たぶん僕は優れたインタビュアーではないのだろう。優れたインタビュアーならもっとインタビュイーのことを考えるはずだ。
言葉にすると、逆に音楽の秘密は簡単な部分にあったのかもしれない。彼らは深い友情か、あるいはそれ以上のものに駆られて美しい音楽を生み出している。そこにある深さや美しさが音楽になっている。お互いを必要としているからこそ、そこに優れた表出が生まれる。
でも僕はそういった思考を離れて、マークとハミルを中央卸市場に案内し、新鮮な日本食をご馳走し、冗談を話したりしながら、彼らをホテルへ送った。これから出来上がる原稿のことを考えるよりも、彼らとの関係性を良好なまま仕事を終えなければならなかった。でも頭の奥には彼らの音楽が流れ続けていて、その美しさの秘密について、決して止まらない思考が自分の中にあった。
男と女がいれば、そこに生まれるのは子どもであるべきだ。でも、たとえば彼らの関係の秘密が明かされていなくても、そこに男と女のような愛があったなら? これはあくまで仮定の話だ。決してインタビューの原稿としては使用できない。でも異性愛者と同じように同性愛者がそこから何かが生まれてくることを望んでいたとしたら?
その質問に僕は答えることができなかった。僕は妻がいる異性愛者だからだ。でも音楽というものが異性愛者だろうが、同性愛者だろうが、何だろうが、どういう関係にあったにせよ、生まれる美しいものがあることはわかっていた。そこには未だ秘密があった。そしてそこに祈りがあることがわかる年齢になっていた。
もし仮にお互いが求めていても求めているものが与えられなかったら? きっとその代わりのものを求めるだろう。強い思いや祈りが美しい音楽を生み出す。きっと美しい言葉も同じだろう。
僕は愛について考えた。愛は様々なものを生み出す。そしてきっと幻想の中にかつて存在した何かは、ひとりの女性がそこに紛れこむだけで崩れさってしまった。
さぁ、現実へ帰ろう。そう僕は思った。現実の世界では現実的に愛が存在するのだから。
でも、かつてそこに存在していた何かが僕を未だに招き寄せていて、なかなか現実的なことを考えることが難しかった。
音楽はあらゆる人の心の中にあり、この世のものとは思えないような世界をみせていた。
でも自分はそんな夢とも現ともわからないもののために何かを投げ出せるような人間ではない。
若い時には、自分の人生をかけてでも何かを実現したいと思う夢があった。でも夢は夢のままで決して消えさることはないままに、その美しい輪郭を残していた。