短編音楽小説#42 Underworld – You Do Scribble (Live @ 2008 Fujirock Japan)
自分のことではなく相手のことを思う。どんなことでも。そういうことができる人は、優れた人だ。日常生活で、社会の中で、いつも感じてきた。会話の中に、道案内の言葉に、恋人を思うメッセージに、そして仕事の上で、言葉は大切だ。でも僕はずっとヘッドフォンをして好きな音楽を聴いてきた。人生の大きな決断の時にも音楽が流れていたし、毎日眠る前にも音楽を聴いていた。10歳までの間にも不登校の時期があり、ずっとヘッドフォンをしていた。言葉は歌声しか聴いていなかった。それも海外の歌が多かったから、言葉ではなく、音からメッセージを聴いた。そのぶん、僕の耳は音楽を聴きわけるようになった。普通の人が会話で心をやりとりするぶんだけ、僕は音楽で心をやりとりする。
10代の頃にはコンピュータで作曲し、20代はDJとしてクラブで音楽を鳴らした。実生活ではひとりぼっちだったが、ネット上には友だちが多く、ヴァーチャルな世界に自分の居場所がある。
この人生の中で、何が美しい瞬間で何が最悪の瞬間かはよくわかった。そして最悪な瞬間の時にも、美しい音楽を聴いてきたぶん、最高のBGMが流れた。だからひとり部屋にひきこもって、ネット上で何か仕事のようなものをしながらでも、DJやアーティストとして生きていく方法を模索したし、実際に聴いてきた音楽のレビューを書いて、自分が感じてきたことを言語化したりもした。
会話を交わすことは苦手だったが、だんだん自分の脳やセンスが、音楽の方向に特化していると感じるようになった。むしろ、自分が自分の好き勝手に生きてきたその方向へ、人は自分自身を形成するらしかった。
それでもネット上には、自分よりはるかにコミュニケーション能力が高く、大人数のフォロワーがいるアーティストがいて、そういう人は実際の生活でも、自分自身の優れた力を発揮しているようだった。
いったい何が違うのだろう? 様々な仮説をたてたが、人は持って生まれたそのスタート地点から能力に違いがあり、だからこそ自分が生き延びようとする正しい方向へ特化して、そしてなんとか生きていこうとする本能があるらしかった。
ネット上で出会ったミュージシャンたちの中にも、極端な生活をする人が多かったが、僕くらい音だけ聴いている人は珍しかった。言葉を必要としないぶん、遠く離れた世界の音楽を聴くことができたし、音だけで相手の心を奪えるようにと願って音の刃を研ぎ澄ませた。
ある時、僕の音楽は遠く離れた女の子にみつけられた。彼女は言葉で、メッセージをくれた。僕はそのメッセージを読んで涙を流した。理解されることは、誤解があったとしても祝福を感じることだ。多くの人は僕の音楽をマニアックだとみなしたけれど、彼女には僕の心がみえるようだった。
人生を生きてきて、傷ついていないと言えば嘘になると思う。でも傷つきも音楽になるし、叫びも音楽になる。そしてそれは人々に届いたぶんだけ、喜びを生み出す。
自分のことではなく相手のことを思う。もう傷から音楽を生み出すことをできるならやめたい。相手のことを思い、喜びの世界へ導きたい。DJのように、曲を繋ぎ、音楽を続けて、気持ちをだんだん高揚させていく。ダンスが生まれ、少しずつ高みへと導いていく。そして最高の瞬間を迎えた後に、ゆっくりチルアウトしていく。
人生はあまりに長く、その時を終えた後も、ゆっくり続いていく。これまでに音楽ばかり聴いてきたぶん、言葉を聴くように、自分の気持ちを言葉にしてみる。
長く美しい夜のように、夜空をたゆたい、そして日常に戻る。
僕の脳は音楽を聴いてきたぶんだけ、普段の生活にも音楽が流れ、コミュニケーションには不全がある。でもあの夜の世界では、僕は人々と同じように踊っていたのだ。