短編音楽小説#37 Radiohead Airbag
夜、高速道路を走っていてカーブのところでジャガーが僕の車を追い抜いていった。圧倒的な加速でみえなくなった。今では高速道路でも安全運転を心がけている。そのジャガーがカーブを曲がりきれず、ガードレールに衝突し、運転手は半死半生の状態になって、血だらけになり、人生のすべてを失ってしまうところを想像する。腕や足が変な方向に曲がってしまい、もう二度と元に戻らない。衝突の瞬間には何も感じない。自分の身体が熱い。身体が変にねじれてしまっている。一瞬の衝撃で、様々な方向に力がかかり、腕が、足が決して曲がらない方向に曲がる。エアバッグは救ってくれない。命を落とすか、後遺症が残る。
無重力空間では太陽と地球の重力の影響から逃れて、浮いていられる。重力と重力の均衡によって、無重力でいられる。どこにも引っ張られない。
事故をおこしたドライバーは、実は死んでしまって魂は地球上ではなく、宇宙空間に漂うのかもしれない。そういう想像をする。どこにも行くあてのない魂。死んでしまえば無だと思っていたけれど、本当だろうか?
トム・ヨークの歌には救いがあった。エアバッグが命を救い、自分の生を実感し、無軌道な人生ではなく、本当の魂のための人生を思い出せるからだ。
何も恐れず、何の後悔もない。アクシデントに遭うまでは。
腕が変な方向にまがり、痛みだけが残されている。ものを掴むこともできない。歩くことができないことは、苦痛だ。自分では容易にサッカーボールを蹴ることすらできない。
生まれてしまったことはアクシデントだろうか? あるいは事故にあったことがアクシデントだろうか?
エアバッグ。救ってくれ。
車を運転しながら、何度もRadioheadのAirbagを聴く。そして若い時に、暴走をしてよく死ななかったと思う。痛みはやってくるまではわからない。
高速道路を降りて左折し、信号を3つほど通過すると、見慣れたコンビニエンスストアがある。そこでドリンクを購入する。もう煙草を買うこともない。でもジャガーが大きくひしゃげて、廃車になるイメージが消えてしまわない。
家に帰ると、妻がいて幸福の匂いがした。
宇宙では空気がなく、匂いはしないと想像できる。しかし宇宙飛行士たちはみな、宇宙では匂いを感じるという。金属の細かな焦げたような匂いと言う人もいる。きっとその匂いは、幸福の匂いではない。
夜の闇の中で、もしエアバックに救われたなら、どうするか考える。
生まれてきた意味があるなら、思い出さなければならない。