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短編音楽小説#35 Radiohead – Lift

 父と母は僕たちという重荷を背負って生きているように思えた。僕がそんな父親や母親のことに気づいたのは12歳よりも前だったと思う。でも僕はまだ若く、自分のことは自分でできるようになるという自立心の方が旺盛で、父や母に優しい言葉をかけることができなかった。
 大学を出たばかりの頃は、何かを書いて生きることができるという希望を持って雑誌編集者の仕事についた。とはいっても身分としてはアルバイトのようなもので、安い時給で朝の10時から深夜まで働いて、ようやく稼いだお金も週末のクラブで散財するといった生活だ。都会的とは言えるかもしれないが、今考えれば仕事が持続的にできるという働き方ではなかった。一瞬、輝いて消える花火のようなキリギリス的な生き方だ。でもそれでよかった。そういう時期がある。
 父親とは疎遠になっていたけれど、母親が時々、電話をくれてお金に困った時なんかは助けてくれた。だから事情はあるにせよ、子どもたちが生きることを親たちは助けていたという事実は変わらないのではないかと思う。父親という存在や母親という存在になるからこそ、そんなに子どもたちのために生きることができるのだろうか? 人はそんなに急には変化しない。
 25歳の頃から、雑誌編集者の端くれとして仕事をして世間というものを知った。自分の思い描いた夢のままに生きているようで、その未熟さゆえに職場では衝突ばかりしていた。根拠のない自信だけがある、未熟な存在。夢を掴もうとして掴めない。そういう焦りの中で生きていた。そしてまだ父親や母親という存在に対する感謝すらなかった。
 
 Radioheadの”Lift”という曲に出てくる真夏のエアコンの匂い。僕も嗅いだことがある。まだエアコンから独特の匂いがした時代。それは父や母が購入したエアコンだった。
 僕はまだ子どもで、季節は真夏で、毎日遊んで家に帰ればご飯がでてきた。
 働いても生活は楽にはならない。そういう現実がある。まだ夢の中にいた時にも仕事は楽ではなかったし、それから何十年が過ぎても生きていることは楽にはならない。
 雑誌編集の仕事を離れて、普通のサラリーマンのように働いて、仕事を転々としながら生き延びても生活は楽にはならない。かといって毎日、同じ仕事を繰り返し何十年も続けたとしても、きっと生きるということは楽にはならない。そういう人たちに沢山出会ってきた。生きていくことはままならないものだ。だからこそ子どもの頃に自分が安心して過ごすことができる家があったことが懐かしいし、真夏のエアコンの匂いというRadioheadの”Lift”の歌詞にどうしようもなく心を掻きむしられる。
 
 トム・ヨークは歌う。
 ”This is a place.Sit down,you’re safe now.”
 
 かつて過ごしていた場所は安全だったと思う。父や母が作り上げた場所。そこに僕は含まれていて、兄弟がいて、そして毎日を過ごしていた。生きていくことがこんなにしんどいということさえ知らずに。
 だから音楽を聴きながら自分のための文章が書けて幸福だ。もうここはその新しい場所なのだから。僕の隣には妻がいる。
 そしてそんな安全な”家”で過ごせたことを懐かしく思い出すのだ。
 

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