短編音楽小説#13[Serph:Shine]
天才と言われる人がいる。
たとえば僕なんかは、そういう人の人生を思い浮かべる。押し寄せるほどの幸運が彼にはあって、様々な出来事が、彼を成長させる。生まれたときから、正しい祈りが彼の中には備わっていて、それは揺るぎない。すべての未来は彼のその才能にかかっていて、誰もが彼の行く末に未来をみる。
たとえば彼が描いた絵は、100年後の僕たちのことを予言しているみたいだし、彼が語る言葉は、未来のすべてを見通しているかのようだ。彼の歌は、あらゆる心に響き、淫らなところがない。一切の私利私欲というものがないのだ。いや、きっと彼にも欲はあるのだが、それはすべて僕たちの未来へ捧げられている。
そんな天才へ向けて、とある仙人は「若い時には、未来へ向けて走り、老いては過去へ向けて歩くものだ」といった。
本当だろうかと思う。これまでの天才が、そうであったように、彼にも死が訪れるのだろうか? 今、こんなにもすべてを背負い、希望をふりまき、未来を照らす天才にも、死が。そんなことが許されるのだろうか?
そうこうしているうちに、天才が僕に語りかけてくれた。天才はそういう、ちっぽけな疑問にもきちんと答えを与えてくれるのだ。
「僕にももちろん死は訪れるよ。それは誰にも訪れる。けれど、僕が生きていたことは、君が覚えていてくれる限り、永遠に残るよ。そして、もし、君の子どもたちの僕のことを好きになってくれたなら…」
僕はそうなのかと思う。誰かが伝えた言葉も、誰かが書いた絵も、誰かが歌った歌も僕たちが覚えていれば、それは残るのだと。そう天才が言ってくれている。
僕は涙を流す。この世のすべては、いつか忘れさられるのかもしれない。けれど、今、僕が覚えているということも、 彼を支えているのだと。 彼が切り開く未来は、僕たちがいるから紡がれているのだと。僕の願いも、きっと彼が救いとってくれるのだと。
僕は、そういうふうに天才に感謝する。
未来を見通す目や耳は誰にも備わっているわけではない。 けれど、誰もがそれを感じることができる。
素晴らしい料理人の作った料理は食べればわかる。
素晴らしい音楽家の作った音楽は聴けばわかる。
素晴らしい映画は観ればわかる。
素晴らしい景色は訪れればわかる。
感じるということが、とても大事で、感覚の後に言葉という表現は存在する。
何か素晴らしいものをみた時に、その感動を伝えるべくきっと言葉は生まれた。
僕の祖先が、そのさらに祖先が、きっと最初に太陽に感動して言葉を発したのだと思う。 そうして言葉は生まれた。 そうして今、僕も言葉を話すことができる。
たとえば、テレビなんかが、どれほど宣伝しようとも、僕はできるだけ自分の目や耳で感じとろうと思う。そして、それが大事なことだと僕は思う。
たとえば、未来がないと君は言うかもしれない。けれど、serphのような音楽家が、また新しい未来を垣間見せてくれる。それは、これまでの幸運な音楽家のように、いつか深まり、深淵へと到達し、そして、いつか人々に忘れ去られるのかもしれない。それはわからない。
けれど、僕は今、彼と同じ時代を生き、彼がみせてくれた未来が、この国に訪れることを願う。