短編音楽小説#12[White Chrismas:Robert Downey Jr, & Vonda Shepard]
かつてクリスマスは男と女が夜を過ごす1日だった。
昔のテレビドラマにはそのことを語るためだけのストーリーが
たくさんあって、 僕なんかは、なんでみんながみんなしてそういう一日を
過ごさなきゃならないんだと思っていた。 つまり、その日に男と女が一斉にことをいたすってことを思うとどうしても肯定できなかった。その頃は、まだ12か13というそのくらいの年頃で、 そういうみんながみんなして信じる幸せな夢が
とても馬鹿げているとでも思ったのだろう。
しかし、いざその頃から20年近くが過ぎて、クリスマスらしいクリスマスを祝うことがどれだけ大切かということがわかるようになると、なんてバカだったんだ、と神様に逆らったことを激しく後悔するようになった。そんなふうにみんなが同じ夢を見る激しい生存競争の果てに、素敵な1日を過ごすことができたなら、それで充分、人生はOKなんだということがまるでわかっていなかったからだ。
そういう因果もあって、僕の人生はまるで クリスマスらしいクリスマスとはてんで縁がない、悲しみの連続になってしまった。おまけにもうすぐ春だって言うのに、なぜかこんなクリスマスストーリーを真夜中にひとりで書いている。人生はとても奇妙だ。
だからといってこれまでキリストの誕生日に全くご縁がなかったっていうわけじゃない。妹は12月25日生まれ(これも本当の話)だし、家族は僕以外、12月生まれだから、12月にはこれまで何度もダイエットしなきゃって後悔するくらいケーキを沢山食べてきた。そういう意味では、まるでアメリカの家族みたいに、クリスマスは家族で過ごす日という約束を守ってきた敬虔さだってあったように思う。
しかし、残念ながらここは日本だった。
人生で、もし一度だけあの日に帰ることができるなら、とそういうふうに思い返す一日があるとするならば、僕にとってその日は、1997年の12月24日のことだ。
その年のクリスマスには、子どもの頃の不遜な考えを神がお許しになったのか、ちゃんと僕にも恋人がいて、おまけに彼女はお寺の娘さんだった。けれどキリストはそんな僕たちにもちゃんと愛の分け前を与えてくれるような、そういう心の広い方だったみたいだ。
その年のクリスマスには、僕は人生で一番かもしれないというくらい上手く愛の言葉をささやくことができた。もちろん、ジョニー・デップみたいな映画俳優のように彼女をうっとりさせることができたとは思えない。けれど、僕が何度も観て憧れた映画のひとつのシーンのようには、その1日はとても完璧だった。
でも、僕のそんな完全な1日にも、ちょっとだけ後悔がある。
その年のクリスマス、僕たちはどこにでもいる恋人たちのように映画館に映画を観に行った。けれど、恋人同士が観るのにふさわしい映画というものがあるにも関わらず、その時、そういう映画を観なかったせいで僕たちは、ふたりでは、素晴らしい恋愛映画を1度として観ることができなかった。
僕はクリスマスの食事に出かける前に雑誌の映画紹介の記事を例にあげて『タイタニック』ほど酷い映画はない、と彼女に言い聞かせた。彼女がどう反論したかは今では思い出せないが、僕たちは僕の強引な決定権の行使により、およそ恋人で観るのにふさわしくない『セブンイヤーズ・イン・チベット』を観ることになった。ブラッド・ピットがチベットくんだりまで行ってしまったがために7年も愛する女性と会えなくなるという映画だ。厳密にはそういうストーリーではなかったと思うけれど、たぶん要約すればそういうことになるはずだ。
およそクリスマスに相応しくないストーリーであるにも関わらず、幸か不幸か、僕が購入していた雑誌の映画評論家たちのレビューは『タイタニック』を押さえて『セブンイヤーズ・イン・チベット』を大絶賛していた。
そういうわけで僕は後でひとりで『タイタニック』を観ることになって、後でひとりで後悔した。なんで恋人と観る映画くらい世紀の大傑作を観なかったんだって、そう素直に思った。
そんなふうに僕と彼女は、一緒に観る映画が世間一般とはどこかピントが外れたものになってしまったから、僕が観ようといって観た映画も、彼女が観ようといって観た映画もどうしてもマイナーなものになってしまいがちだった。しかし、ふたりで観た映画がマイナーであればあるほど、それらの映画は他のどの恋人たちが観たものとも違う記念碑的映画として、今も僕の心に残っている。
おまけに僕は後の人生で映画について書く雑誌編集者のはしくれになってしまってろくでもない映画評をずいぶんと書いた。それもきっと誰かが僕に罰をあてていたのだろう。そういう意味では、僕の映画評で不幸になったという読者には心から哀悼の意を表したい。
彼女は彼女で、何の因果か僕と別れてから、映画女優の卵の道を歩み始めた。
もちろん彼女が出演した映画は時代劇や学生映画なんかだと思うけれど、今、彼女がどうしているかわからない。
恋人同士が当然観るべき映画を観なかったからこうなってしまったんだと『タイタニック』のことはどうしても後悔してしまう。
彼女と別れる時、僕は彼女の記憶が付随するすべての物質を捨てた。それはバレンタインデーにもらった僕の地味な服装を飾ってくれるマフラーだったり、彼女の携帯電話番号の走り書きのメモだったり、彼女がコンビニエンスストアで買ってくれたパンツだったりした。なんで彼女がコンビニで僕のパンツを買わなきゃいけないのかはさておき、そういうものを集めるとゴミ袋いっぱいぶんくらいにはなった。
人と人が別れるからといって、なんでそこまでしなければならなかったのか。
その理由もよく覚えている。そういうものがまわりにあると、どうしても彼女を思い出してしまうと思ったからだ。残酷な奴だと思われても仕方がない。けれど、本当に忘れようとするには、そこまでしなければならないんだと、その時の僕は思った。
しかし、人間は不思議なものでどれだけそういう記憶が付着したものを捨て去ったとしても、記憶はいたるところから溢れ出してくる。まるで物を捨てても魂はなくならないと誰かに言われているみたいに。
だから、あのクリスマスから10数年が過ぎたというのに、僕と彼女が付き合った期間は、たった半年程度だというのに、今も自分の人生の中に彼女と過ごした日々は下絵のスケッチのように存在する。まるで、僕という人間の欠陥は、その時すべてあらわになっていて僕が誰とどう付き合おうが、その時と同じ過ちを繰り返しているに過ぎないといわれているかのようだ。誰かとしかいいようのない誰かに。
だからというわけではなかったのだけれど、僕は彼女と別れてからどれだけ言いよる女性がいたとしても、どれだけ女性を抱きたいと思ったとしても、彼女と別れてからの3年間、誰とも夜を過ごさなかった。
嘘のように思われるかもしれないし、実際、かなり可愛い女性にデートに誘われるというようなことがあったにも関わらず、クリスマスと縁がなく生きた。別に始終、彼女のことを思い出していたからじゃない。 たまたま、そういう気分になれなかったからだと思う。
しかし、映画のレビューを書くようなそういう雑誌の仕事をするようになってからは、そういうふうに気取ったりしているわけにはいかなくなった。雑誌の編集の仕事は、クリスマスが近づけばクリスマス気分を広め祭りがあれば、お祭り気分を世間に広める、そういう仕事だったからだ。 わかってもらえるかどうかわからないが、かつてクリスマスが大嫌いだった男がしらふでできるような仕事じゃなった。
そういうわけで、その仕事をしている頃には自然とクリスマスを意識した。クリスマスぐらいはひとりで眠りたくない。そう思った。だから秋頃から、ひとりの女性を熱心に口説きはじめたし、実際にクリスマスの前くらいにはその時、口説いていた彼女とベッド・インすることができるかもしれないとそう思っていた。 そしてテレビドラマのようなクリスマスのイメージを自分がなぞろうとしているということをそれほどおかしいとは思わなかった。
実際の26歳のクリスマス・イブには、ある女性をデートに誘い、デートの最後には、彼女に告白をすることができた。しかし、彼女の答えはNOだった。その夜のこともよく覚えている。クラブで酒を飲んでつぶれ、もうどうなってもいいという気持ちでひとりで泣いた。最低な状態の最低な夜だった。そして、それを最後に、僕のクリスマスストーリーは終わった。少なくとも現在までは。
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今、多くの時間が通り過ぎた後で冷静に思うと、やっぱりクリスマスは家族のためのものだったと断言してもいい。
だから、半端な下心でクリスマスを過ごそうなんて思うと酷い目に合うし、真剣にクリスマスを過ごそうと思うと、ちょっとくらいは面白くない映画でも、好きな人と一緒に観ることができる。
毎年、クリスマスを過ごす相手が違うなんていうようなテレビドラマみたいなクリスマスは今でも馬鹿げていると思うし、ドラマや雑誌の真似ごとをしたって、本当の神からの愛はもらえない。
そして、僕は今ではこう思うことにしている。僕の当時の彼女のお寺の娘さんは、きっと小さい頃からクリスマスを祝うことができなかったのだろうと。たぶん、家の仕事の関係上、ささやかに祝うことがあっても、大っぴらに祝うというわけにはいかなかったはずだ。だから、彼女は、親元を離れ、一人暮らしをしていたその自由な時間に家の教えをちょっとだけ離れたのだと。
彼女はだからその年、きっと人生で1度だけクリスチャンになったように聖夜を僕と過ごしてくれたのだろうと思う。少なくとも僕はそう信じたい。だからこそ、僕はその年のその日のクリスマスにこれまでにないくらい幸せになることができたし、彼女がまるで僕の人生のすべてのクリスマスとクリスマスイブを奪い取っていったようにその前もその後も、僕のクリスマスが幸せだったということはない。
そして僕になかなか幸せなクリスマスが訪れないのはきっと当たり前のことなんだろうと思う。だってその日は、イエス・キリストの誕生日でやっぱり家族の日なんだから。そして、本当のクリスマスっていうのは、いつか自分の家族となる人と夜を過ごすための特別な日なのだと思う。
そういうわけで、僕のたった一度の幸せなクリスマスは、そのお寺の娘さんに捧げたっきりだ。あなたのクリスマスはどうだろうか?
付記:
ポール・オースターというアメリカの作家は『オーギーレンのクリスマスストーリー』という、とても素敵で僕の話とは全然違う、キリストの生誕日に相応しい驚くべき創作を披露してくれている。その話を読んだ時には、いつか僕に、そんな作家のような素敵なクリスマスストーリーが書けるだろうか、と真剣に悩むことになった。そして、僕は実際にはクリスマスに相応しいフィクションを書くことができなかった。
しかし、僕はこの話に書いたような実際の人生を生きている。そして今は、ある意味、人生は悲劇ではなく「ライフ・イズ・ア・コメディ」だと信じている。だからもし、この話が創作だと思われたのなら、 僕のこの物語には、きっと何の面白みもなかったはずだ。