短編音楽小説#30 Radiohead – Motion Picture Soundtrack
真冬の山荘で薬を飲んで死のうと思った。真夏に次の真冬に死ぬことを考える。そして準備をはじめた。ダークウェブには昔と変わらぬ死ぬクスリを販売するサイトがあったし、山奥のロッジを真冬に借りるのにそれほどのお金はかからない。苦痛のない死は約束されていた。
これまでもひとりだったし、死ぬ時もひとりだ。もちろんひとりではない時もあった。孤独ではなかった時の記憶は心を暖めてくれる。これまでそうして心を暖めてくれた人に、何か言い残すことはないかと思った。でもそれは過ぎ去ったものごとなのだ。
生きていることに意味を見出そうとしてきたし、すべてを記録してきた。その記録を後に残して、この充足した人生を終わらせる。死を自分で決定できるということが、自分の傲慢な考えだとはわかっていた。けれどそれは生きるよすがでもあった。
最初に死ぬことを考えたのは大学生の頃だ。インターネットのダークウェブで死ぬ薬を購入し、死ぬ一歩手前までいった。でも思いとどまった。この世界を否定し死んでしまうにはまだ早い。心のどこかでそう思った。
それからはいつでも死ぬことができるという思いで生きてきた。怖いことは苦痛なく死ぬ手段を失うこと。いつも何かがあるとまだ死ぬ薬は販売されているか、ダークウェブを覗いてまわった。
働くことは苦痛だった。自分が生きてきたことを否定されるようなことがたびたび起こった。まさに命をお金にかえているのだと思った。もちろんもう少し生きることに必死であれば働くのに良い場所もあったかもしれない。でもそういう場所を懸命に掴み取ろうと努力するにはシニカルすぎた。
音楽を聴いている時、私は癒された。アーティストたちがどういう思いで音楽を生み出しているのかはわからない。でもアーティストが生み出す音楽には生きる意味がちゃんと刻まれていると思った。
私は無意味に死にたかった。ただ生きていたという事実を消しさりたかった。冷たい場所で冷凍されるように凍ってしまいたかった。そして1000年ぐらい冷凍されて、この世界がちゃんと生きていて素晴らしい世界に変わっていることをみたかった。でもその考えが、どれくらい絶望に根ざしているかも、はっきりわかっていた。
赤いワインと眠る薬。誰かの腕があればよかったけれど、私はひとりぼっちだ。
真夏から真冬にかけて、悲しい映画を沢山観た。もうすぐ死ぬのだ。映画を観ても泣けなかった。
自分は狂っていたのかもしれないとも思う。でもこの世界も狂っている。なら死のうとするだけ、私はまともだ。
いろんなメッセージが世界中から私の心にやってくる。私はそのメッセージを受けとりたくない。ただ泣きたいだけだった。
ハッピーエンドの映画みたいに人生の最後で希望がやってくればいいけれど、人生はそんなふうには甘くない。
私は人と連絡する手段を絶った。
コミュニケーションをとらなくなると、急に静かになった。誰かに話しかけたくなったし、事実、コンビニエンスストアで店員に話しかけたりもした。でも何も変わらない。
スマートフォンは手離したけれど、音楽を聴くために古いiPod touchは残していた。でも本当に音楽だけしか聴けないように機能に制限をかけた。きっとそのままだと誰かと繋がりたくなる。
そう。誰かと繋がりたい。突然、それが自分の生きる希望なんだと思った。こんなふうに誰かに何かを語りたいのも、音楽を聴くことも、ただ生きていたいからだ。
冬が近づくにつれ、だんだん死にたくなくなった。欠けているのは自分を包みこむようなあのあたたかさなのだ。そのあたたかさを手に入れたい。
12月にはいるともう死ぬことを考えることをやめた。自分の心の中だけで決めていたことだから、誰かが笑うこともない。でも自分の人生を明るい方へと向けるには様々なものが必要だ。
死ぬことを決めたのは真夏だった。でもいざ真冬が来ると、もっとずっと生きたいと思った。