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短編音楽小説#11[another day:the albumleaf]

夏が近づいている。

彼女はいつものように仕事が終わった後に、大きな本屋でファッション雑誌を眺めたり、店頭にディスプレイされている服にため息をついたりしながら買い物を楽しんでいる。

彼は仕事帰りには、職場近くのレコードショップで新しく出た音楽CDを視聴したり、ヘッドフォンから流れる音楽に耳を澄ませたりしながら街を歩いている。

ふたりは街の通りや、駅の構内や、そういうあちらこちらで何度となくすれ違っているがお互いの存在に気づかない。

彼が最近、気に入っているCDは”the album leaf”というミュージシャンの奏でるポストロックで、この音楽を聴きながら街を歩くと人々がとても幸せそうに暮らしているような気分になれて気に入っている。

職場ではしょうもないいざこざや、客のクレームや上司の憂さ晴らしの小言なんかを聞きながら、そういうなんやかやを仕方なく受け止める中で日々を過ごすのに、こういう音楽がちょうど良いのではないかと感じるのだ。

“the album leaf”というミュージシャンはかつてハードコアというジャンルの音楽を演奏するどちらかと言えば、騒々しい音楽を創る人だった。
しかし、今、このミュージシャンが奏でる音はどこまでも優しい。たぶん、彼が好きなのは、そういう世の中への怒りのようなものを通過した後に鳴らされる音なのだろう。彼はそういうものに共感するし、自分もそうありたいと考えている。 もちろん、なかなかそういうふうになれるものではないけれど。

彼女はと言えば、もちろんそういう音楽について詳しくは知らない。自分の感覚を大事に買い物を楽しむほうだし、聴く音楽も、それと同じ。音楽が流れていた時に過ごした日々を懐かしむように彼女は音楽を聴く。

だからその時代、その時代に街角で流れていた流行の歌は、その頃の自分を思い出させてくれるようで時折は聴きかえす。
もちろん悲しい思い出もあるけれど、そればかりではないから、音楽を聴くことをそれなりに楽しんでいる。そして、彼女にとっては歌うこともまた音楽を楽しむひとつの方法だ。

ある時、彼が、そのヘッドフォンからその”the album leaf”というミュージシャンの”Another day”という曲を聴きながら彼女と目があった時、 一体、どうすればよいのかと考えた。もちろん、今まで彼女のことなど気にとめたこともない。けれど、その音楽が流れている時に、偶然、彼女と目があった時、音楽が生み出す力を信じてもいいのではないかと思った。

もちろん、それが馬鹿げた行為であることはわかっていた。音楽が自分の心を動かしているのだし、彼女は今までの彼の人生ではすれ違い続けてきた存在にすぎない。

そういう現実と、そして音楽が作り上げる非現実的な感情の中で彼は、とりあえずその中間地点を探るように彼女の目に向けて微笑んだ。それは、音楽によってささくれだっていた気持ちが少し柔らかくなった、兆しにすぎないだろう。

もちろん、彼女は見知らぬ誰かの微笑みが自分に向けられているものだとは
思わなかっただろうし、もし、そういうふうに彼の気持ちを理解することができたとしても、それを受け止める人ではなかったかもしれない。

けれど、時々、神様のいたずらのように誰かの微笑みが誰かに伝わってそういうふうに微笑みが広がる場合があるのだ。

だから、彼の微笑みに対して彼女は、そっと微笑みを返した。とても自然に。
もちろん、その時はそれだけのことだ。
もちろん。

けれど、きっとどこかでは素晴らしい音楽がそういうふうに誰かに微笑みを伝え、それが広がり続けているのだろう。

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