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短編音楽小説#10[KICK THE CAN CREW:PARTYOVER]

少年はこの町に引っ越してきたばかりで彼らが話しかけてくるまではひとりだった。

いつの間にか公園に陣取る連中のひとりになって、カンケリや草野球なんかの遊びの中で時間を忘れていく。

飛び乗った自転車は徐々に行動の半径を広げ、そのぶんだけ世界が少しずつ広がる。まだ見ぬ風景、未だ知らぬとなり町の向こうへとのびる線路がどこまでも続いている。

夜が近づき、仲間たちがそれぞれの家に帰る頃になると、遊びの時間の終わりに気づきながら、けれどまだ帰りたくないようなそういう寂しさの中で街灯の光が町を照らすのを眺める。

誰が一番ケンカが強いとか、誰が一番走りが速いとか、そういう小さな集団の王者たちが決定されるにつれて幾多のいざこざが起きる。
それらひとつひとつのベルトのゆくえはその時、その時の顔ぶれを思い出すエピソードとなって今も記憶に残る。
あるいは、そういう争いは今もどこかで続いているのかもしれないけれど。

少年は、少ししか投げることができなかったピッチャーマウンドの立ち心地を忘れられず、遊びの時間が終わっても、壁に向かって何百球か数えるのがいやになるほど遅くまでボールを投げ続ける。しかし、彼にふたたび、ピッチャーマウンドに立つ機会は訪れない。そんなささやかだが確かな挫折と敗北が少年を何度も苦しめる。

しかし、ともに歩む仲間を見つけた少年はただ後は進むだけと前へ、前へと走り出す。 世界は広く、何度となく押し寄せる困難がふたたび少年を襲ったとしても。

彼が仲間とともに選んだ武器が音楽だったとしても、それは驚くようなことではない。かつての少年が野球選手に憧れたようにミュージシャンは少年にとって雲の上の存在。楽器を手にしようが、マイクを手にしようが目指すべき場所に少しでも近づくためにあがくのも彼らが少年だからだろう。

「ただ夕方5時に鳴った鐘が朝5時に鳴っただけだったわけだ」という祭りの終わりの光景を、キック・ザ・カン・クルーの”YOUNG KING”という最初のアルバムに見つけたとき、3人のMCがこれから繰り広げる奇跡のような時間ですら、終わることを知りながら始められたゲームなのだと知った。

彼らは、勢いを増すごとに遊びの時間は終わらないとライムし続けた。だからこそ、彼らが残した数枚のアルバムには、3人が別れ別れになった後もかけがえのない時間が終わらず今も続いているような気がする。

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