短編音楽小説#9[Debussy:claire de lune(月の光)]
昔々、猫好きの作曲家がいた。といっても、大昔から猫好きの作曲家は猫が好きだったわけではなく、猫たちもまた彼のことが好きだったわけではなかった。
その音楽家は、聴衆の前では笑顔を振りまくのにプライベートでは人間がとても嫌いだった。だから彼はひとりで長期間、作曲のために籠り、曲ができてから、演奏会が終わるまでの間だけ人と接した。
そして、それ以外の時間の大半を曲作りに費やし、曲が完成するまでは、ずっとひとりで時を過ごした。
「そんな生活はいけません」
ある貴婦人は、彼の生活がとても不健康だと思ったから作曲家にあるプレゼントをした。作曲家は演奏会の後で色んな贈り物をもらうことがいつものことだったので、多くのプレゼントの中にそういう貴婦人のたくらみつきの、プレゼントが混じっているなんて思いもしなかった。
多くのプレゼントを召使いに運ばせると、作曲家はその日の演奏の出来に満足して、ひとり祝杯をあげてから自分の部屋に帰り、ベッドに深くもぐって眠りこんだ。そうすれば、いつになくとても長い熟睡の時が訪れる。そのはずだった。
しかし、多くのプレゼントの中には貴婦人のたくらみの、その贈り物である子猫が一匹まぎれこんでいて、彼がとても深い眠りにはいりこむその幸先で、彼の顔を強くひっかいたのである。
その日から、作曲家と子猫の格闘の日々がはじまった。子猫は、作曲家が、あーでもない、こーでもないといつもの曲を作り上げる、その悩みの中でもがいている時にも、あるいは、アイデアの切れ端が天から降ってきて勢いにのりはじめてきた時も、おかまいなしに、作曲家の邪魔をした。
「あー、どうにも辛抱できん」
そう作曲家がたまりかねて、子猫を家の外へほっぽりだしたその後も、朝になると、どこからか家の中にはいりこんで、無邪気に作曲家のベッドにもぐりこんでいるのである。
だからといって、猫好きの作曲家は最初から猫好きだったわけではなく、猫たちも、最初から彼のことが好きだったわけではなかった。
しかし、ある嵐の夜、子猫がひどい風邪をひいたことがあった。
猫好きになる前の、その頃の作曲家はしだいにその子猫のことが好きになりはじめていたので、もしその子猫が病におかされていることに気がついていたなら、
きっと作曲なんて放り出して子猫を医者へ連れていったことだろう。
けれどその日、作曲家は生涯のライフワークとしてようやくのことで完成したばかりの一大交響曲の演奏会の打ち合わせに大忙しで子猫が病で苦しんでいることにろくに気づくことができなかった。そして、子猫はその病のために死んでしまった。
作曲家は、その子猫がなくなってからとても深い喪失感に襲われた。そして、その子猫と暮らした束の間の日々が今までの人生よりも、とても楽しい日々であったことに気づいたのである。
死んでしまった子猫に対して自分ができることはなんだろうか。そう作曲家は三日三晩問い続けた。僧侶は、祈りを捧げてくれたし、医者は、子猫が死ぬその最後の時まで手厚く看病してくれた。そしてその間、その作曲家にできることは
何ひとつなかった。
やがて彼はその深い苦しみの中から抜け出した後で、名曲『子猫のための葬送曲』を書き上げた。そして、子猫が死んだ頃に作り上げた一大交響曲に差し替えて、大勢の観客たちの前で、その曲を披露した。
もちろん、彼の大ファンであった大勢の人々はいつもの荘厳にして流麗な音楽を期待していたので、猫のために書き上げられたその曲のチャーミングな悲しみに気づかずにひどくがっかりして演奏会場を後にすることになった。
しかし、彼にその子猫をプレゼントした貴婦人だけは、作曲家の気持ちを感じとって微笑みを浮かべながら涙したという。
このエピソードは、猫好きの作曲家が、猫好きの作曲家と呼ばれるようになる
最初のエピソードであり、また猫たちに彼が好かれるようになるのももっと後のことだ。
しかし、この頃から猫好きの作曲家は、猫も喜ぶような曲を作ることを心がけるようになったし、猫たちも、時々はこの作曲家の音楽に耳を傾けるようになったという。
もちろん、この話は創作であり、フィクションなので、
この猫好きの作曲家が作り上げた曲はない。
けれど今日は、
大昔に亡くなった私の子猫の追悼という意味もあって、
ドビュッシーの『月の光』を選んでみた。