僕がMacと出会った頃は未来が輝かしいものだと信じることができた20世紀の終わりだった。
バンドを高校時代からやっていて、大学でオリジナルの曲が演奏できるようになり、恋人もできたりして青春の真っ只中だった。
大学を留年した僕は、友人たちが社会に出ていくのを横目に、ひとり大学で、昔から描いていた夢。小説を書くということのためにタイピングを覚えようとしていた。
毎晩のように大勢の仲間と酒を飲み、語り明かした祭りの後で急にひとりぼっちになっていた。村上春樹の『スプートニクの恋人』をタイピングしながら、文章のリズムなどを感覚的に掴みとろうとしていた。
でも、その頃はほとんど何もわかっていなかった。ただ何かを生み出したいという気持ちだけがあった。
今、仕事でコンピュータを触ったりするようになると、いったい何のためにコンピュータを触りはじめたのだろう? ということを忘れていることに気づく。
僕は、別に働くためにコンピュータを覚えたわけではない。輝かしい未来にはコンピュータが必要だし、何者でもない自分が何かを成し遂げるには、Macが必要だ。そう信じていた。
最近、james blakeのアップルのCMがいいらしいと聞いて、youtubeで観てみた。
james blakeの音楽はずいぶん昔から聴いている。まだCDで音楽を聴いていた頃だったと思う。ふらっと寄ったレコード屋でjames blakeの音楽に出会った。
子どもの頃は、テレビが価値判断の材料だったと思う。テレビが情報の入手場所で、聴く音楽も格好良くはなかった。でも本屋に行くようになり、雑誌なんかを読んで、レンタルでCDを借りて、少しずつ音楽のセンスを向上させていった。
やがて雑誌でもテレビでも友だちの情報でもなく、james blakeをひとりで見つけられるまでになった。音楽だけを聴いてその良さを掴み取る。当たり前のことだけれど、そういうふうに音楽を聴くことは難しい。
それがもう7,8年は前のことになる。だから今ごろjames blakeと言われても、それほどピンとはこない。近年の音楽はjames blakeの影響下にあると思う人が多いと思う。でもそういうことは自分の中にだけあればいい。
そういうことではなくて、僕がMacを触りはじめたのは、何かを作るためだったという話だ。
AppleのCMで、james blakeは曲をただ作っている。歌っている。でもそこに”Never stop making”という字幕がのると、ああ、そうだったという思いがする。
テレビや雑誌。メディアに踊らされていた時代を超えて、もう自分は自分だけの音楽や、自分だけの文章を書くことができる。そういうことのためにMacがあったのだ。思い出した。
ずいぶんと難しいことを考えるようになったものだと思う。コンピュータのセキュリティとか、大切なことだけれど、本当はどうでもいい。
何かを生み出すことが大切で、コンピュータセキュリティのことなんて、少しも考えなくてもすべてがセーフティに機能する。
それがMacに求めていたものではなかったか?
いつの間にか、歪み、ぼろぼろになり、くたくたになって、夢を忘れてしまう。それは嫌だと思う。
もちろん仕事は大切だ。妻との生活があり、生きていかなければならない人生がある。
でも、なんのためにMacを手にしたのか? いつの間にか、忘れていた。
僕は自分が価値ある何かを書くことができると信じて、そしてMacと出会ったのではなかったか?
james blakeは生み出すことをやめない。僕はどうだろうか?