凄く集中する時、ほかのものごとがみえなくなっている。
フォーカスをあてる。でもそれはその焦点しかみていないことを意味する。
いったいどんな顔で文章を書いているだろう。言葉に向き合っている時、その言葉のことしか考えていない。
子どもの頃から本を読んできた。そしてイヤフォンをして、音楽を聴いてきた。それが今はMacBook Airで音楽を聴きながら、文章を書くという形に変化した。もし何かを書いていなかったとしても、何かを読んだり、コンピュータを触っている。仕事でもコンピュータを触っているから、ほとんどコンピュータとばかり向きあっている。
だからたまには表情を意識しながら、コンピュータで文章を書いてみようと笑顔をうかべながらこの文章を書いている。
いつもはとうぜん文章のことだけを考えて、文章を書いている。だから笑顔を浮かべながら文章を書いてみようというのは、いささか奇妙な体験だ。そして難しい。
車の運転をする時、教習所では右足でアクセルを踏んだり、ブレーキ操作をしたりするように習うと思う。でも僕は運転免許をとってすぐ左足でもアクセルやブレーキの操作をするようになった。
中学生の時にサッカー部だったことが影響している。常に利き足だけではなく、両足でボールを蹴る必要があった。だから運転もその時の癖で、両足で運転できるようにならなければならないと思ったのだ。
人間はそういう個人的な習慣の集積として存在するのだと思う。最近はテレビをみない人も増えていると思うけれど、僕は20年以上前からテレビをみていない。テレビをみる人は、目や耳で情報を入手する習慣があるから、人の話を聞くことはうまくなるのかもしれないなと思う。
でも、僕はコンピュータに向き合ってしまう。
最近では、在宅勤務なども普及してきているから、コンピュータに向きあう人はどんどん増えていると思う。そしてコンピュータの向こう側にいる人に話かけたりするわけだ。
僕はあいにくネット上でビデオミーティングするような機会にそんなに恵まれていないから、パソコンに向かって笑顔をうかべるということもない。
でもこうして、大勢の人が読める文章を書いているわけだから、できるだけ集中しながら、ニコニコと笑顔でいられるか試してみた。
きっとこういうのも、車の左足での運転と同じで、訓練でできるようになるのだろう。
井上雄彦さんの漫画『バガボンド』で凄く好きな話がある。剣豪・宮本武蔵が剣と向きあう時、最初はいろんな執着があり、うまく集中できない。でも成長するにつれて、やわらかく、自分の表情すら忘れて剣にむきあうという話だ。
だから僕のこういう過大な集中だって、何か意味はあると思う。
きっと本気で何かに向き合えば、自分がどんな顔をしているかなんて、忘れてしまうだろう。でも仕事でもコンピュータを触るわけだから、笑顔は忘れたくないなと思います。
ひょっとするといつか、凄く微笑みながら、パソコンに向き合っている人になっているかもしれない。それはそれであぶない人みたいですけれどね。
文豪への道のりは遠いです。