臨床心理士の妻とよく話しているのだけれど、人間と人間には、正の連鎖と負の連鎖があると思う。
僕は小学校1年生の時は、たぶん字というものが書けなくて凄く苦しんでいた。
劣等感の塊みたいで、とても大変だった。
でも、小学校2年生になって親友ができ、本をよく読んだりするようになって勉強がしんどくなくなったんです。
概ね、小学校の間は楽しかった記憶しかない。
野崎まどの小説『パーフェクトフレンド』に友だちについて書かれています。
友だちは不思議だ。お互いがお互いを必要とし、様々なものごとを共有する関係。
かなり昔の漫画ですが『北斗の拳』の中に無双転生という奥義があります。
この技、無双転生は、ものすごく簡単に言えば、RPGのFFシリーズの敵のわざみたいに、戦った相手の技が使えるようになるんです。
わざをラーニングしていく。そして『北斗の拳』の中では、敵というのは強敵と書いて友と呼びます。
子ども時代はいろんな人間がいて、得意、不得意も違い、その中で学びあう、教えあう関係がありました。
そして文字通り心が通じたなら、その心が通じた相手と時間を過ごすことで、その相手の能力や才能みたいなものが、ラーニング(学習)される側面があります。
人と人が触れ合うことは、無意識的な心の共有体験でもあるんですよね。
学校教育の良かったところはそういう友だちに出会えたことです。
夫婦でも同じで、心を通わせているからこそ、人間性が似通ってくる。
僕は臨床心理のことを妻から教わり、ほとんど知識がなかったけれど、心理学についてある程度、学びました。
臨床心理も同じで、つまりクライアントとセラピストは心を通じ合って、セラピストがクライアントの闇を受け止め、正しい連鎖へと変えようとする行為なんだと思います。
虐待や暴力的なことで、人の心は傷つきます。そしてそれが連鎖して、親から子へと悪いものも受け継がれていく。
殴られて育った子は、親になった時に、また子どもを殴ってしまう。
これが負の連鎖であるのに対し、他者から愛情を受ける体験が正の連鎖です。
生きることの中には、正の連鎖と負の連鎖があり、他者に対して暴力的な行動をとったり、悪影響を与えたりという負の連鎖もありつつ、正の連鎖を行おうとする者もいます。
僕の子どもの頃の劣等感は、本をたくさん読むことで消えていきました。
僕という人間は、人みしりで、言葉の発達に遅れがあったかもしれないとも思います。
でも本をたくさん読むことでのりこえていった。
そして友だちとたくさん時間を過ごすことで、いろんなことがわかるようになった。
誰でもそうだと思う。他者という存在から愛されたと感じるか、攻撃されたと感じるか。
幸せは愛されたという体験にあるのです。
そして愛された体験は、また人を愛する体験へ繋がる。
日本の昔の貴族には、穢れという概念によって、人と人が影響しあうことを本質的に理解し、悪い影響を排除しようとしていたのではないか? と思う部分があります。
悪いと考えられている人を穢れていると排除しようとしていたというか。
でも、その差別的な考えは、心理学が発達していなかったから、経験則としてできあがった知恵なのかもしれない。
コロナ危機によって、ソーシャルディスタンスが言われるようになりました。
でもウイルスって概念は昔はなかった。
病気が人から人へ感染することは、経験的に知覚されていたけれど概念自体がなかった。
心理学という概念もありませんでした。
そういう概念がない状態で、人から人にうつる何かを経験的にとらえていた。
穢れとか、霊とかという言葉で、様々なことを説明していたのは仕方がないと思います。
たとえば、人を攻撃してばかりいる人がいるとします。ずっと不満を抱えていて、苦しんでいる。
そういう人を貴族社会では排除しようとした。回復のみこみがないと考えられていたから。
昔は排除するしか方法がなかったわけです。
前回のエッセイで暴走族のことを書きました。
そういう非行行動にはしる少年の気持ちはわかるというシンパシーの表明です。
でも非行行為は正しい行為だとは思いません。
問題行動を起こすには、問題行動を起こすだけの理由があると僕は考えています。
そこに光をあてたい。
生まれながらに悪という人間はいないと思っています。
臨床心理学の世界では、攻撃性(アグレッション)を心理士が受け止めます。
心を受容し、受け止め、共感します。
セラピストとクライアントの心が通じあう。そういうなかから憎しみが薄れ、愛情へと変わっていきます。
これがほとんど臨床心理の奥義だと思う。
そして憎しみの心が晴れていく過程は、だからこそ神道的なのではないか? と思うことがあります。
誰からも愛されることなく育つ人間はいないけれど、憎しみを向けられ、暴力の中、育つ子どもはいます。
また競争の中で劣等感に苦しみ、人を攻撃してばかりの人もいるのでしょう。
そういう人の怒りを誰かが転じなければならない。
人にはそういう怒りが多かれ、少なかれあると思います。
でも、そういう生きる苦しみを転じさせていく必要があります。 負の連鎖を正しい連鎖へと変えていかなければならない。
お経を読むと、昔の人がどういうことを考えていたのか、よくわかります。
でも、それが本当はどういうことか? もっと理解したい。
神道が行っていることとは? 仏教が行っていることとは?
まだちゃんと説明されていないことはたくさんあると思います。
人と人が本当にはみえない何かで繋がっていて、言葉で、感情で影響を与えあうなら、誰かの苦しみが愛にかわるまでみまもるようなことって、とても大切だと思う。
妻の仕事の大変さを理解しながら、いつも凄く良い仕事をしているなと思っています。