短編音楽小説#7[Bach-Goldberg Variations:Aria:Glenn Gould]
老ピアニストが20年前に弾いた自分の録音テープを聴いた。周囲に絶賛され、コンサート会場を湧かせた頃の音だ。しかし、その音は今聴くととても良いとは思えない。そして、同じ曲をもう一度弾いてみることにした。20年という歳月が、一体、何を自分にもたらしたのかを確かめるために。
指はその曲を弾くにはおぼつかず、ゆっくりと弾くことしかできない。でも、昔よりも作曲家が何を考えていたのかよくわかる。そういう感覚が今の彼にはあった。
思えば、20年前は譜面と戦うようにピアノを弾いた。楽譜は、溢れ出るエネルギーを押し込める足かせのように思えたし、即興でアレンジをいれることが何よりも楽しかった。そして観客たちも、その若さを喜んでくれた。しかし、今聴くとどうだろう。その演奏は、作曲家が意図したことを台無しにしていただけに思える。
老ピアニストは、昔よりもゆっくりとしかし、確実に作曲家が曲にこめた思いを汲み取るようにピアノの演奏を続けた。録音テープがカラカラと音を立てて回り続けていた。
演奏が終わると、コーヒーを一杯飲み、ふたつの録音テープを聴き比べながら、20年前の演奏と、今の演奏の何が違うのかを老ピアニストは確かめようとした。
テクニック自体は昔のほうが巧かった。聴衆を惹きつけることができたのもわかる。けれど、音の深みが違う。そう老ピアニストは思った。
老ピアニストは、そのテープをもって、若い頃から目をかけてくれたマダムのところへ向かった。彼女は、ずっと早くから彼のピアノの理解者で彼が迷ったり、何か良い事ががると話すことができる、昔馴染みの相談相手でもあった。
彼女はそのテープを手にするとすぐにはその演奏を聴かずに、彼が20年かけて手にした音の興奮をそっと引き出すように、彼の話し相手になった。そして、彼の話に頷きながら、こうつけ加えるのを忘れなかった。
「20年前の演奏も素晴らしかったですよ」と。
数日後、老ピアニストはその数十年にわたる生涯を終えた。彼の最後の演奏はマダムの手によって彼の死後、彼の知人たちに知れわたることになった。
老ピアニストの死のニュースとともに、彼の最後の演奏は、彼を知る音楽好きたちの間で話題となった。そして、彼がそうしたように、 多くの人々も、20年という歳月がもたらしたものを深く味わった。
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この話は、グレン・グールドというピアニストの “THE COMPLETE GOLDBERG VARIATIONS 1955&1981″というアルバムのコンセプトを元にした。不世出の天才と謳われたグレン・グールドがバッハの曲を1955年と1981年の2回、演奏した音がそのまま音源として残っている。
彼の場合、2つの演奏の間に26年という時間がある。 CDに記録された音は’55年が約38分、’81年が約52分である。もちろん、グールドというピアニストの場合、指がおぼつかなかったわけではもちろんないが、 ふたつの演奏は同じ曲なのに演奏時間が大きく異なる。
私は、このピアニストのことやクラッシックについて何かを語れるほど
理解しているわけではない。しかし、このふたつの演奏の間に流れる時間が、彼に何をもたらせたのか、ということだけは音を聴くことで感じることができた。