妻とよく近所を走りまわる暴走族の話をする。
「彼らにも彼らなりの主張がある」と僕は妻に言うのだけれど、彼女は安眠を妨害されて、納得していないようだ。
僕も大学生の頃は、アメリカンなバイクに乗って、ギターをかついで、騒がしい音楽を演奏していたから、暴走したい気持ちはよくわかる。ギターの轟音で、伝えたい何かを表現していたけれど、暴走族の人たちはバイクで叫んでいる。ブンブンブンブンと。そう想像する。
もちろん、みんながみんなどこかで何かを叫んでいるのかもしれない。
人に迷惑がかからない形で、その何かを叫べれば良いのだけれど、そううまくはいかないものです。
暴走族の集団には、たぶん仲間内のルールがあり、秩序があると思う。音楽サークルにもルールがあり、秩序があるように。それぞれの集団の内側には、その集団の王様がいて、彼らをとりしきっている。
もちろん、暴走族の王様だって、世界のトップなわけではない。誰かには屈服し、従っている。
たびたび村上春樹さんのことで申し訳ないのだけれど、村上春樹さんも父親の庇護の下から飛び出し、大学の先生方にも服従せず、社会のルールからも逸脱して、自分の店をはじめて生きようとしたのだから凄いと思う。
この世界はライオン・キングの世界ではないけれど、時には自分の思い通りにしようとすればするほど戦わなければならない時がある。
村上少年と父親に何があったのか?
詳しいことはわからないけれど、どの親子にも問題があり、青春期には叫びたいような何かがあるんじゃないか? 僕なんかはそういうことを思う。
村上春樹さんの場合、実際に小説で世界のてっぺんにまで辿り着いたような趣がある。
つまり、ライオン・キングなんです。小説界の。
でも、そのライオン・キングも歳をとっている。徐々に力を失っている。
本当だろうか?
次は誰だ?
小説界では、新しい王様をめぐる権力争いが発生したりするのかもしれない。
僕が言いたいことは、暴走をして、何かを周囲に言いたがっている少年たちが、何かを言うことができる社会にしなければならないということです。
何かを言いたい。でも、その何かを言うことができない。
だから暴走するのだし、暴力もうまれる。
言葉にできない思いというものは確かに存在する。
僕の青春は音楽とともにあったけれど、その音楽は今、聴いているような美しいものばかりではなかった。
暴力がその音楽の中にはあったし、それは王様を殺したいという気持ちと繋がっていた。
でも、今ではわかるのです。多くの年上たちにもかつて若い時があり、その若い時に自分をかけた戦いを戦い抜いて、そして今があるのだと。
村上春樹さんのような本当に力のある小説界の王様が、本当の王様だったならどれだけよかっただろう?
すべてのものは年老いていくけれど、本当に素晴らしい人生を歩んで上にたった人なら、この世界をもっとよくしてくれるだろう。
一般的な家庭に生まれて、小説家になろうとすると、だいたい大変です。
文章だけで生きていこうなんて、そんなにおいしい話はない。
でもだからといって、ただ仲間と暴走するだけではだめなんだと思う。
自分自身を賭けた人生という戦いを戦っていかなければならない。
ライオン・キングじゃないけれど、そういうものなのかな? って思う時もあります。
余談ですが、スティーヴ・ジョブズも、ビル・ゲイツも、若い時は猛スピードで車を走らせていたらしい。叫びたい時も、走りたい時も、誰でもあることなのかもしれないですね。