abejunichi@icloud.com

人と人が出会うこと

今日、妻と話していたこと。
カウンセリングやプレイセラピーとは、セラピストとクライアントの関係の中で行われることなんだけれど、そこに必ず場所は必要なのか? と彼女に聞いたんです。
臨床において場所とは何か?
もし未来の仕事が対面ではなく、インターネットの空間上で行われるのだとしたら、それはどういう変化を引き起こすか?
僕は普段からわりとそういうことを考えていて、妻が臨床をしているから、そういう観点からの意見を聴くのです。

妻の意見は、カウンセリングは、ネットを介してできるかもしれないけれど、プレイセラピーは難しいかな? というものでした。
そういうふうにお互い、話しながら考える。

可能性として、プレイセラピーもゲームみたいなものの上では可能かもしれないと僕は思う。
小説みたいな文章でコミュニケーションをする人間は、いろんなものが言葉にできると考える。
でも同時に妻に出会ったから、言葉にできないもののことも理解できる。
妻が、じゃあ24時間ネットで繋がっていたら、それでいいの? と尋ねる。
僕は妻とそういう距離感で暮らしたくない。

アコースティックギターがエレキギターになり作曲がすべてPC上でできるようになり、時代は変化している。
アコースティックギターにはアコースティックギターの良さがある。
でも、音楽は電気信号になることによって、より広範囲に届くようになった。
言葉も同じだ。より広範囲に届くようになった。
でも生身で出会うことができる人というのは、この人はこういう人だからこういうことをしているんだという深いところまで理解できる人間なんです。
アナログとはそういうものだと思う。
デイスプレイ越しのコミュニケーションは、生身よりも情報量が減っている。でも多くの人間とコミュニケーションをすることができる。
たとえば僕という人間を知らなくても、この文章は読むことができるわけです。
でも妻は僕という人間を理解して、そばにいて、コミュニケーションをとっている。
だからディスプレイ越しで仕事をするのか、生身で仕事をするのかというのは、周囲への関心みたいなものと関わりがあると僕は思います。
友だち同士で組むバンドは、いつか生身でも一緒に演奏するんじゃないだろうか?
でも仕事はどうでしょうか?

お互い好きでもないのに同じ列車に揺られて、同じ仕事をして、陰口でも言っているような人間関係。
もし仕事がそういうものなら、その関係は画面越しで充分だと思う。
それほど関わり合いにならずに成立する仕事はあると僕は思う。

一方、本当に大切な人とは、ぜったいに直接、会わなければならない。
これが真実です。

世の中の多くの人に向けて僕は言葉を放っている。
僕は僕の文章を敬意を持って読んでくれる人には、ちゃんと話したいと思っています。
そういうものだと思います。

イノベーターズという本を読んでいて、新しい世界を作ってきた人々がどういうふうに働いてきたか理解しようとしています。舞台はシリコンバレーよりももっと昔から現在まで。でも人と人が出会う場所をキャンパスのように設定し、仕事というものを考えてきた人たちがいます。
そういう場所でも、人間ドラマがある。
人と人が出会う。そこには良いものも、悪いものもありますね。