『鉄道は旧世界の産物だと思う。もし、新しい世界がはじまっているのなら、鉄道はもう主役ではない。駅の古びた階段を上りながら、一九世紀にイギリスで走っていた黒い蒸気機関車のことを考える。』
著作「We should fall in love」の一節です。ここから話を展開したいと思う。
明治時代には、西欧の文化からやってきた鉄道がとても新しいイノベーションだった。移動の手段として鉄道は人々の憧れであり、国家はこの鉄道を日本全国に敷設して日本という国の交通網を作り上げる必要があった。
郵便事業なども国家が整備していかなければならない大切な事業だった。
文明開化によって、長い間、鎖国していた時代から、よりすすんだ国へと日本を進化させる必要があった。
これが明治時代だと思うんです。
でも、この小説の主人公は、もうそういう時代じゃないよねという考えの持ち主なんです。僕が書いた主人公だから、僕の意識の投影なのかもしれない。けれど、筆者としてはそれは時代の意識の投影ということにしてしまいたい。
それが小説家というものだと思うんです。
たとえば郵政民営化という法案が小泉内閣時にありました。これを民意で是か非かと説いた。
僕はそういうひとつの事象に対する民意の問い方は好きでした。だから僕自身は自民党支持者ではないけれど、小泉さんには一票をいれました。
明治からの時代の流れを考えて、国家というものが何を為すべきか?
昔だったら鉄道網を広げたり、郵便事業を整えたり、事業の優先順位は高かったと思います。
でもインターネットが普及し、E-mailで、あるいは携帯電話で通信できる時代に郵便事業の価値が低下するのは当たり前だったと思うんです。そういう時代に、郵便事業を民営化しようとした。
僕はこれは政治家として正しいと思っています。
つまり時代、時代によって国が主導して整えていかなければならない事業と、もう民間に任せればいい事業と両方あると思うんですよね。
国がやるべきことというのは時代によって、変化する。
そういう時代だから、『鉄道はもう主役じゃない』と主人公は語っているんです。
じゃあ、何が主役なのか?
新しい世界がはじまっている。それは筆者が感じていることでもあります。このエッセイでも語っていますが、工業を中心とした社会ではなく、ITを中心とした情報化社会のことです。
これが始まっている。
僕の小説では、よく満員電車が嫌だという話が出てくるのですが、コロナの時代にあってはみんなが満員電車が嫌だと言える時代になりつつあると思うんです。
そういう時代に、何を僕は小説家として書いてきたか?
それがひょっとすると伝わっていない。伝わっていないどころか、見つけられていない。読まれていない。
そういうことは感じるんです。
でも僕としては、今、小説が語らなければならないことを語っているんだけなんだけれど。
いろんな娯楽があるなかで、今、小説を書く意味。
それは新しい時代へ向けて、新しい意識みたいなものや新しい世界への道を書くことなんじゃないか?
少なくとも、そういう思いで書いている人間がいる。それが伝わればいいんですけどね。