KID Aという小説を妻に語るように書いた後で、気づいたことがある。
子どもの頃に観たアニメーションなどを、妻は知らないから時々一緒に観たりするのだけれど、いろんな作品が自分の小説に影響を与えている。
松本零士さんの『銀河鉄道999』なんて、5歳か6歳の頃に観ていたような作品は、もはや無意識となって自分を形成しており、いっだいどれぐらい影響を受けているのかわからない。もちろん『999』の原型でもある宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だって知っている。
それらの作品は、影響を与えながら後世で繰り返し語られるべきもの、物語の原型的な部分を含んでいると思う。
童話『オズの魔法使い』なんかも顕著に影響を受けていて、小説『KID A』の後半に出てくる世界の中心は、僕にとってのエメラルド・シティだと言っていい。
終着駅『アンドロメダ』や、エメラルドシティ。農村から旅立ち、辿り着いた大都市のメタファーとしてこれらの場所は存在している。『銀河鉄道999』では機械の惑星として、主人公が機械の身体を手に入れる場所として存在するし、エメラルドシティはすべてがエメラルド色に輝く、素敵な都市だ。
でも夢に描いてきたような旅の最終目的地が、そんなに素晴らしい場所ではないことが共通点だと言えるだろう。
『オズの魔法使い』の場合、エメラルドシティの輝きは、エメラルド色をしたサングラスをかけていただけというものだ。人々は王様に騙されていた。理想郷は存在しない。それがオズの魔法使いの真実だ。このエピソードが語ることは、風刺的だ。
また『銀河鉄道999』では作者の左翼的連帯としての友情や団結といったテーマも登場し、アンチ機械というテーマが全編に響いている。主人公の母親は機械の伯爵に殺されていたりする。とてもメタファー的だ。
消えゆく田園風景の代わりに、大都市が出現し、享楽的な都市生活や自然破壊とともに変わってきた文化など、さまざまなテーマを含んでいる。
それに対して『ファイナルファンタジー7』は、最初から大都市が登場する。
もちろん、物語の中では、田舎から旅立ち、都会に出ていった主人公たちの話が語られるわけだけれど、他の2作と比較しても、最も都市破壊的な物語が語られている。
これらの作品に共通する産業革命以後の世界に共通する、経済成長に対するアンチテーゼの物語とは何なのか?
さらにミヒャエル・エンデの『モモ』を加えるとわかりやすい。
農村生活が時間によって管理され、最大限効率的に都市化されていった果てに生まれてきたもの。
そして人々が失ってきたもの。
そういうものが物語を通じて描かれる。
僕の作品『KID A』も、RADIOHEADの同名曲からタイトルを借りながら、これらの作品に通じる何かを描いたつもりだ。
なぜ大都市は崩壊にいたるのか?
未来はどこにいきつくべきなのか?
『KID A』という小説で、僕はこの問題について物語を語り、妻に語ったように『awake』で理想の世界について語った。
どこへ行くべきなのか?
物語を読んできたならわかるはずだし、すべからく物語の書き手たちは物語を通じて現実と戦っている。
見果てぬ夢をみて、かつて共に過ごした仲間を思い出しながら、自分たちが騙されてきたことを暴き、本当の幸せに辿りつくことを願っている。
少なくとも僕はそう思ってきたし、そう考えて物語を書いてきた。
だからロックダウンで停止した海外の都市で、すべての鳥が大きくさえずりはじめたなんて話を聞くと、もう少し世界はよくなってもいいのにな、なんて思う。
本当に。