abejunichi@icloud.com

音楽によって育まれる魂

今、SF小説とは別に、青春バンド小説も執筆している。
どちらを先にと考えているわけではなく、考えるべきことがこのふたつの小説の中にあるからだ。

理想の仲間はとにかくお金の話をしない。お金の話はいろいろ難しいし、昔、自分たちでフリーペーパーを作ろうと盛り上がっていた時に、お金の話をする大人がひとり混ざっていたせいで、その話がなしになったこともある。本当にお金というものはろくでもない。
(余談だが、インターネットの初期にはすぐにリターンを求めず、フリーな思考で形にしていった後にマネタイズをするという考えも生まれた。最初から経済的に活動することが必ず正しかったわけではない)

もし僕が18歳でバンドマンなら、それぞれ自分で楽器を手にするだろう。そして練習をし、ライブを行い、音源をつくったりするだろう。自分たちでお金をだしあって。
バンドマンなら当たり前だ。バイトもするし、ひょっとしたら仕事もするかもしれない。でもバンドが大切で、それぞれお金のことをなんとかして、自分たちの活動をする。それがバンドというものだと思う。

仕事をしていて思うことは、今やっていることが、バンドみたいなものだったらよかったのになということだ。バンドならメンバー全員がアイデアを出し、方針を決め、活動する。
僕は以前に小さな事業所の立ち上げメンバーになり、そのチームのリーダーとして仕事をしたことがある。メンバーは仲が良かったし、指揮系統もなかった。僕はバンド体験やブラジルのサッカーチームの個人プレー中心の戦術をたとえにして、それぞれが今、何をするべきか考えるスタイルで有機的に動くチームを作った。ひとりひとりが考えるチームは複数のブレインが存在し、誰かがいなくなっても機能した。

実際仕事もうまくいった。でも、結局はそのチームの母体である本社の人間との間に軋轢が生まれ、僕はチームを抜けた。お金を出しているのが自分ではなかったから、最後まで自分たちでうまくおこなうことはできなかった。

資本主義の問題は、ほとんどすべてここにある。自分たちに決定権がなく、与えられた仕事を決められたルールの上で行わなければならない。関係には上下があり、上の人間ですら雇われた人間である。決定権を持っているのは、もっとずーっと上だ。そして働く人同士の親密さは、友人たちよりもずっと浅い。時には憎みあっているようなことすらある。

ドラッカーのように、経済というものは活動をはかる指標にすぎず、経営者は事業がうまくいくように動かす経営管理者だと説いた人もいる。お金は指標なのだと。
でも、裕福なお金持ちが、いったい本当にチームのためにお金の使い道を考えてくれるだろうか? むしろほとんどのお金持ちは自分たちがお金持ちであり続けるためにお金を使う。

本当は、管理者たちですら、チームの経営担当であるだけなのだと僕は思う。チームを正しい方向へ動かす経営責任。そういうものを担っているからといって、雇う側と雇われる側に上下や身分の差が発生するのは、本質的なことなのだろうか?

お金持ちたちは、いったいこの世界のどこからどこまでがチームだと考えているだろう?
またお金のことを話し出すと、生活のこととすぐに結びつけてお金に支配されている人間が口をだしてくる。お前は夢みがちだと。そして常識的な思考でこちら側に攻撃をしかけてくる。

世の中の仕組みの理不尽なことの多くは、資本主義の問題にある。

妻は、自分の稼ぎで生活している。元々自立志向の女性で、僕は臨床心理士の卵だった彼女が夢を叶えることを手助けした。僕も彼女に自分の小説を書く実現の手伝いをしてもらった。

僕たちは夫婦だけれど、仲間であり、そしてお互いの夢を応援する同志だ。

KID Aという小説に書いたように、髪の長い少年と出会い、僕は孤独ではなくなった。
でもそこから何人もの仲間と出会いながら、かつての夢を忘れて大人になっていく友人たちが多かった。
そこにお金による支配というものが大きく立ちはだかっていた。

今もそうだ。生活のために生きるようになると制約も多い。

でもいつも生活のために生きることが正しいとは思っていない。僕はバンドマンだったし、小説家でもあり、人間関係というものを、もっと本来的なものにしたいと思っている。

今、この世界で、いったいどれだけの人間が使命感をもって自分の仕事に取り組んでいるだろう?
本当の仕事は、バンドのような仲間とともに行われるべきだし、新しいアイデアも、苦労を乗り越える力も、良好な人間関係ともに生まれる。

でも僕の知る限り、そういう組織はほとんどない。チームのメンバーはほとんどが他人で、競争相手ですらあり、ストレスまみれの上下関係が存在し、誰かが誰かをばかにしていたりする。そういう組織ばかりだ。

雑誌編集者をしていた頃、僕は若かったのに12時を過ぎて出社し(出社の定時は10時だった)、夜中の26時まで仕事をしていた。上の人間が遅刻をすることが当たり前だったから、僕もその真似をした。(当然のように怒られるけれど、無視した)。
僕は映画チームの編集者で、音楽チームの編集者の女性がひとり、僕と同じように夜遅くまで残っていたことを覚えている。
あまり話さなかったけれど、音楽が好きなんだろうな。夜中まで残る彼女のことを思い出すと、好きなことを仕事にすることの幸福について思い出す。

またお金になんかならなくても、一生懸命、小説を書いてきた。処女作から最新作まで、採算については考えてこなかった。自由に書く。そしてできるだけベストを尽くす。それが個人的なルールだった。もちろんこれらのどこかで作品が多くの人に読まれ、作家としてのキャリアが築ければよかったけれど、いつもフランツ・カフカのことを思い出し、カフカのように働きながら書こうと自分を励ましてきた。

音楽もそうだ。一生懸命、練習をし、仲間とともに自分たちの音楽を生み出してきた。

そう考える時、いつもこの世の中のほとんどの仕事は、なにか間違ったルールの間違った仕事のように思えてならない。
ただのビジネス。それはなんのためにあるのだろう?

いや、僕も今の社会がすべて間違っていると言いたいわけではない。
家族のために、家庭のために働く。そういうサラリーマンたちと働いてきた。そのリアルはよくわかる。
そして僕には子どもがいない。
でも、この世界では生まれてくる子どもを幸せにできる自信がない。
それぐらいこの世界は間違っている。人々が間違っているのではない。
社会がもう凄く古くなっているのだ。
それをどうにかしたいと思いながら、いつも夢みがちだ。
でも、今こそ夢をみなければならないとも思っている。

今年はひどい年なのかもしれない。でもこれまでだってずっとひどかった。
良い時と悪い時は交互に訪れる。
でも今こそ、何が本当に大切だったか、わかるのではないだろうか?