僕が子どもの頃は、鳥山明の『DRAGON BALL』が全盛だった。
鳥山明の絵は凄く無国籍で、歴史というものを感じない。ペンギン村なんかもどこかの田舎なんだろうけれど、日本の田舎か? と問われるとそういうふうにも感じられなくて凄く不思議な印象を受ける。
つまり『DRAGON BALL』はグローバルなポップさがあったわけです。
そこから『ワンピース』と『ナルト』のグローバルな舞台と、日本を異化したような舞台の作品のふたつが大ヒットしていて、それぞれの物語を展開していた。
『ワンピース』は大航海時代を舞台に、やはりグローバルな物語だし、『ナルト』は架空の日本の物語だった。
さらにそこから『鬼滅の刃』『約束のネバーランド』『Dr.STONE』などジャンプ漫画は多様な背景を持つようになっている。
村上春樹さんも、初期はどこか無国籍な舞台だった。僕は『風の歌を聴け』のモデルとなった芦屋の公園に行ってみたりしたけれど、日本そのままのリアルさをどこか無国籍な舞台として書いていた部分があったと思う。
それは日本の私小説から断絶した村上春樹さんのリアルでもあった。
第二次世界大戦の敗戦とその復興という日本の舞台で生まれた僕たちは、どこか歴史というものから切り離されて生きようとしてきた部分があると思う。
都会に行って、田舎臭いものから離れてイケてる人間になり、成功する。
そういう物語の中にいて、気づいたら満員電車の地獄の中にいた。
凄く不思議だけれど、そういうふうな歴史認識を僕はしている。ファンタジーだけじゃなくて、少年漫画や村上春樹さんのような文学ですら、この現実の世界と地続きで繋がっていて、その時、その時の表現を探している。
歴史から離れたり、異国を目指したり、過去ともう一度繋がったり。
そこに描かれているのは、キャラクターたちの物語なのだけれど、どこかでは私たちの物語なのだ。
働きながら、なんとか物語を書きたいと思っているような僕にとって、こういう物語は、落ちこんだり、仕事でミスをしたり、大変だったりする時に、とても有効だ。
コンビニエンスストアで何度、ジャンプを立ち読みしただろう。(すいません)
物語を読んでいる時には、自分が子どもの頃に戻ったように、その物語の世界で夢をみる。
そして今、この世界でおきていることを忘れる。
でも、この世界でおきていることと、あの世界でおきていることは、どこかでは繋がっているんだなと思うと、その物語の中でがんばるキャラクターたちみたいに、自分ももう一度がんばらなければならないと思わされる。
励みになるんです。
良い作品は、生きる励みになる。
だから今でも少年漫画が好きだし、売り上げを考えて書けなんていう編集者には腹が立つ。
物語は人が生きるために大切なものなんです。
夜、眠る時にみる夢と同じように大切。
悪夢はみたくないけれど、良い夢がみれた後に生き返ったような気持ちになれる。
それは現実ではないかもしれないけれど、ひと呼吸して、もう一度がんばろうという気持ちになれる。
みんなそうしてがんばっているんだと思うと、いろんな人のことを思うし、いろんなことをよくしていきたいと思う。
そういう希望を物語からもらっています。