短編音楽小説#3[A piano without be unknown]
ピアニストたちはピアノのひとつの音を最後まで響かせようとする。
後々まで残る響きが好きだからだ。
けれど、それを聴く観客たちは、 彼ほど気が長くない。
次に、いったい、どんなドラマが待ち受けているのか、
いつも待っていて、今、響いた音のことをすぐに忘れてしまう。
彼らがピアノの前に立ち、 どんな気持ちでフレーズを響かせようとおかまいなしだ。
あるピアニストのひとりは、そういうことを承知していて、 派手なパフォーマンスを演奏に取り入れた。 観客たちは喜んだ。
食べることができないピアニストたちが多い中で、彼のようなピアノ弾きは幸せだったといっていい。 そして、彼の人生そのものも、彼のピアノのように劇的なものになっていった。
やがて、音楽を聴きにきていた観客たちは、彼の人生そのものを楽しみだした。
彼が誰とつきあったとか、どんなものを買ったとか、どこは行ったとか、誰と喧嘩したとか。 そういうことばかりが、彼の音楽を彩った。 そして、彼の本来の人生というものが消えて、道化のようなものがたりが彼の音楽になった。
そして時が過ぎた。
彼の派手なパフォーマンスを喜ぶ観客はもういない。彼の派手な人生を楽しむ観客も。 彼はほかの多くのピアニストと同じようにピアノの音を最後まで響かせることにこだわるようになり、やがて誰もが彼のことを忘れていった。
今、彼のピアノの音は世界中のどこを探しても存在しない。子どもたちが音楽を楽しむように自由にピアノを演奏しても、とがめる者もいない。人生の最後に誰も、彼もが同じだという本当の気持ちをこめて、ピアノを演奏しても。
残念ながら、こういう物語から思い浮かぶ音楽はちょっと思いつかない。かつて、多くの名前を知られることのない若者たちが音楽に取り組んだ。音が音を呼び、歌が歌を呼んだ。そういう記憶があるだけだ。