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最初の物語を書いた時のこと

小説の書き方を知っている人はそれほど多くない。
むしろ小説の書き方は、その書き方が作品を規定してしまうこともあるからひとつではない。
小学生の時、親友と交換日記のように小説を書いたことはあった。しかしどうやって書いたかわからない。
20代も後半になるまで、僕は小説が書けなかった。
10代、20代、バンドをしながら、多くの友だちに作家になる夢を語ったにも関わらずである。

だからここで語ることができる小説の書き方は、すごく個人的なものだ。一般的ではない。

まず大学時代に、ある評論家が村上春樹の『ノルウェーの森』について、実体験としての原型となる物語を、フィクションとして加工し、変形させたものとした評を読んだ。
僕はどこかでその評を創作の基本だと考えた。
(なぜかはわからない)

次に、25歳で本気で作家になると決めて何かを書こうとした。でも何も書けなかった。
そして半年ほど文章修行の末、雑誌編集者のアルバイトの仕事に受かり、働いた。
この時、面接で「将来はどうするのか?」と尋ねられ、「2,3年、(雑誌編集者として)働いたら作家になります」と答えた。
今、思えばとても変な奴だったと思う。そんな人間だったのに働くことができたのだから幸運だった。
でも、まだその時は1作たりとも書いていなかったし、書けなかった。


いざ雑誌編集の仕事を辞めても、僕はすぐに小説を書いたりせず、Macでできることに夢中で、映像を作ったり、音楽を作ったりしていた。そして小説なんて未来の可能性がないのではないかなんて心のどこかでは思っていた。

もちろん、今でも作家になれたのか? と尋ねられたら、「うーん」と考えてしまうようなインディペンデントな作家だ。作品もそんなに多作なわけではない。
でも人生の約束として、小説を書く夢は叶えた。

20代も後半のある日、東京から帰阪する夜行バスの中で、最初の物語が浮かんだ。それはある種、特別な閃きだった。

僕はバンド活動を何年もして、作曲はしていたから、閃きがどういうものかはわかっていた。
音楽の場合には音がおりてくる。頭の中で音が聞こえるのだ。
同じように、ひとつの物語が夜行バスの中で浮かんだ。

1週間ぐらいかけて、脳裏にうかんだ物語をすごく短い物語にした。
最初に思ったことは、どれだけ下手でも最後まで書くということだった。
そして”ものがたり”と名付けられた短いプロットができた時、自分はいつかこの小説を書くのだと思った。

でもそれから8年近く、そのものがたりを小説にするために時間がかかった。
ストーリーの基本ラインはできていたのに、書けなかった。

ものがたりができた時、短く拙いながら、自分の人生のようなものが対象化された。
この人生の対象化が、普通はできないのだと思う。

誰もが、自分の人生はこうなんですという仮説を持っているかもしれない。けれど、それをひとつの物語にできた人は少ない。
僕は27歳で、僕の人生はこうかもしれないという結晶としてのものがたりを手にして、8年かけて咀嚼した。
そして2011年から12年にかけて『KID A』という小説にした。とても大変なことだった。
自分の人生はこうかもしれないという架空のものがたりを、多くの人の人生もこうかもしれないというひとつの寓話へと昇華させ、本当の物語にしたのだ。
だから、現実の人生とフィクションはどこかでは関係があるし、フィクションは嘘の話だけれど、本当の人生を結晶のようにして書いている。

村上春樹さんも、処女作『風の歌を聴け』のなかで、物語の中ではなんでも自由にできると思った。けれどそれが落とし穴だったと書いている。本物の人生を生きなければ、本物の面白い物語など書けない。そう僕は彼の人から学んだ。
そして人生を真剣に生きれば、いつかまた新しい物語が書けると信じている。

27歳までの人生を小説にできたからと言って、それが僕の人生というわけではないし、フィクションというものはまだまだ秘密がある。しかし、自分の人生をいちど物語の素材として差し出すくらいのことはしないと、物語って書けないものです。本当に。