中学生の時は勉強はテスト前の1週間だけ部活が休みだったので、その1週間で勉強をしていた。
もちろん1週間だけ急に集中して勉強をするわけだから、その前後にどうしても報酬的なものが必要になる。
中学3年生で1番成績が良かった時のテスト勉強前には、『スナッチャー』というゲームをした。
『メタルギアソリッド』シリーズや『デスストランディング』で有名なゲームデザイナーになった小島監督の初期作品だ。
その頃は推理小説が好きで、探偵もののゲームはとても好きだった。だから『スナッチャー』に出会ったのだし、そのゲームに満足することができて、勉強に集中することができ、テストで良い点をとった。勉強のような自分のコントロールには自我が満足している満ち足りた状態が必要だったのかもしれない。
ところで、『スナッチャー』の何が面白かったかと言えば、いろいろある。
作品は後に知ることになるSF映画『ブレードランナー』を原型としたサイバーパンクもので、基本的には探偵が犯人を追いつめていくというオーソドックスなものだ。
『ブレードランナー』でもそうであるように、レプリカントのような、サイボーグのようなそういう機械的な人間か、生身の人間かを推理して、見分けていくという面白さがあったと思う。
前置きが長くなったけれど、現代社会では人はよそゆきのペルソナ(仮面)をかぶっている。店舗では販売員が親切そうに商品を勧めてくるし、親切そうな仮面の下になにがあるかわからないような場合も多い。
そういう時に、僕は『スナッチャー』というゲームを思い出して、この人はどれぐらい機械のように計算して会話をしているのだろう?と考えることになる。
もし、人と人がペルソナのような仮面を被らず接したら、わかることは人と自分の本質的な相性の良さであったりする。人と人は無意識的になんらかの繋がりがあり、良い相性と悪い相性がある。
それは本質的に考えていることや、属している内面世界との関連があるのかもしれない。
少し、昔話をする。
妻と結婚前に別れ話をされて、一度、別れたことがある。定職に就かずふらふらしていたからなのだけれど、突然のことでショックだった。3日ぐらい音信が不通になり、本当にしんどかった。
でもある時に、コンビニエンスストアでばったり出会うことになる。
いくら近所に住んでいるからって、コンビニエンスストアでふたりの人間が会う確率なんて、それほど高くない。でも別れていたふたりは偶然、コンビニエンスストアで出会う。
そういう見えない力が人と人にはあって、それを仏教では縁と呼んでいるわけだけれど、ともかく僕たちはその後、やりなおして結婚した。
話を元に戻す。
つまり意図して、計算して、トークのマニュアルの通りに笑顔をうかべたとしても、本当の意味で人と人は繋がることができない。巨大な資本の歯車のひとつとなって、笑顔をうかべるのは仕事だから仕方がないかもしれないけれど、本来的な人と人の関係を、機械的にしていると言うことができる。
誰が笑顔の影であなたの財布の中身からいくらか奪おうとしているかわからない。
これが現代社会だ。
極めて『スナッチャー』的な機械人間にならざるをえないのが現代の仕事の辛いところだ。
それに対して、本当にあなたの大切な人というのは、財布の中身というよりは思想や考え方、心であなたを助ける存在だ。
それは新しい祝福のような何かをもたらせてくれるし、まるで神様からの教えかのように心に響くものがある。
人と人が出会う時。このような疑心暗鬼を考えなければならないこの世界で、人と人が繋がりにくいのはこうした人と人が本心で向き合えないところにある。
僕は探偵ではないけれど、素敵な人をつかまえた。
本当の人と人との関係を大切にしたいですよね。