現実の世界は時に異様な姿で世界を表しているような気がする。
古の世界では、京都が日本の首都であり、都だった。
日本の各地に京都をモデルとした都市が数多みられるし、実際に長い間、日本の原型的な都市だったのだろう。
そしてその都市形成は、宗教的であるとも考えられる。
まず幾つものおみくじからわかることだけれど、日本の方角に対する考え方は非常に奇怪だ。
北、南、東、西といった方角が占いの対象になっている。
このような方角に対する考え方を行なっていた民族がどれぐらいいるのかわからないけれど、
日本の原型には宗教的な占いの感覚が都市形成にも影響を及ぼしていたと考えられる。
京都は御所を中心として、そこへ上がる、下がるという独特の感覚で地名を形成しているが、これは天皇の住処である御所が世界の中心であったことを表しているのかもしれない。
人々はそこから下るのか、上がるのかという上下の感覚が地理的に名残としてある。
今でも鉄道などで上り、下りと言ったりするが、これらは中心的なものに対する感覚の名残である。
よって、天皇を中心として、北、南、東、西という東西南北の感覚がある。
さらに南は貧しい者、北は富める者など、貧富の差も方位の中にあったようだ。
方の位と書くように、誤解もあるかもしれないが、地理の中に人々の貧富の差やある傾向があった。
自分の住む場所すら自分で決めることができなかった時代の話だ。
天皇は中心であるから、そこから政事を東西南北の感覚にあわせて行う。
そして中心の行く先々で何があったか、占われていたのではないかと想像する。
これらの占い的なまつりごとが長い間行われていた。
やがて平安の時代は終わり、鎌倉、室町、戦国、江戸へと時代は移り変わる。
まず、これらは地理的な占いによる古代の都市形成の話だ。
次に、時系列の中にも秘密がある。
平安の時代の末期に、源という源流をあらわす種族と、平という平坦を表す種族の争いがあった。
源の意味は祖先を重んじる意味だと考えられる。
平はもちろん平等などの意味をあらわすと考えられるだろう。
そして歴史の中でも平等を表す意味を持つ種族が破れ、源という源流を表す種族が勝つ物語が語られている。
これらはたぶんに解釈の間違いもあるのかもしれないが、平等というものが破れる運命にあることが、
日本の歴史に刻まれている。
これも宗教的だ。現代的でもある。
平成も終わるわけだ。
関西は世界の縮図のようである。あるいは、世界を占う場所だ。
誰が? うーん。誰かが。
個人の心理は箱庭などを作ると、そこにどんなものが象徴的に配置されるかで、
その内面や、その移り変わりがわかる。
世界や歴史についてはどうだろう?
ある地域で、そんな占い的なまつりごとがなされているとしたら?
京都が東洋的、古代や仏教、源流などの都市であるのに対し、
神戸が西洋的、キリスト教的、貿易的な都市としてくっきりわかれている。
さらに両者の間としての大阪があり、京都よりもより自然回帰的な奈良がある。
これらの都市形成は、いにしえの京都の占い的な都市形成を、より大きな規模にしたようだ。
実際、神戸は世界との貿易によって発展し、文明開化以後は多くの西洋人が住み、西洋建築も数多く残る。
大阪の南部に住んでいる人間にとっては、別の関西の大学への進学は、西洋にすすむか、東洋にすすむか、
キリスト教的か、仏教的かなどを問われるような宗教的な意味があったようにも思われる。
これはあくまで思い返せばというものであり、大学進学のおりには神戸への漠然とした憧れしかなかった。
しかし1995年に阪神・淡路大震災があり、神戸への進学は断念せざるをえなかった。
そして京都の大学へ進学した。
当時は選択の余地はなかった。
1995年は震災とオウム真理教事件の年で、いろいろ結構大変だった。
少なくとも僕のなかの西洋都市・神戸への憧れは震災によって崩れさった。
もちろん今では復興しているけれど、憧れの神戸での学生生活というものは消えた。
バブル崩壊など日本における西洋解釈の間違いや、ポストインダストリーなどの考えからすれば、
京都の持つ宗教都市性や歴史性は凄く魅力的に感じられたし、大学時代に後悔はあまりない。
しかし関西では神戸と京都はまったく違う文化だと思うし、震災により、歩めなかった未来のことを考えると、
あの地震はなければよかったのにと思う。
関西は多様性がありながら、同時に世界を占う宗教性を持った都市形成群であるのではないかと考える。
結構奇妙な世界だ。
新世界という地名とその現実なんかも考えると、その都市形成に意図的なものを感じずにはいられない。
誰の? うーん。誰かの。
そして、そんなことを考えながら関西でデートをしていると、行く先々での体験が、宗教的な意味を持っているようで
思わず考えてしまう。
そしてそういうことを考えすぎて、いつも妻を悩ませてしまう。
関西の各地には世界の縮図があると感じると、行く先々で世界の行末が気になります。
気になりますよねぇ。