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ファンタジーの予見性

ロールプレイングゲームが好きだった。
特に物語性のある和製ロールプレイングゲーム。
ドラゴンクエストとかファイナルファンタジーとか主に世界を旅しながらレベルをあげ、スキルを獲得し、成長をしていく。
中学生ぐらいの頃から大学生ぐらいにかけては特に夢中になっていた。
文学的作品も読んでいたにも関わらず、RPGに夢中になる。
それは無意識の中ではどのような意味があったのかと思うことがある。

とくにKID Aという作品に大きくRPGの影響は色濃くでている。
この作品は神様はいるのか、仏様はいるのかという少年の疑問からはじまっている。

僕よりも前の世代では日本は仏教色が強く、日本昔話というような説話で道徳的な物語が描かれていた。
しかし70年代以降に生まれた人にとっては、こういう仏教説話というものはあまり意味を持たなくなっているのではないだろうか?

ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといった物語が僕の世代では道徳的な物語、言い換えればキャラクターの”役割”を演じながら遊べるストーリーとして存在していた。

ドラゴンクエストやファイナルファンタジー、それも5作目から7作目を中心としたSFCからプレステのJRPGの黄金時代の和製ファンタジーの共通点として、いろいろなことが考えられる。

1.困っている村人を助ける
2.ひとつひとつのクエストをクリアしながら、仲間をみつける
3.複数のスキルを組み合わせ、知恵をつかって成長していく

このようなクエストを繰り返しながら、成長していく。

僕の書いたKID Aは、自分のファンタジーを作り上げるというところで、これらのJRPGの影響をうけている。
大昔から、ひとり旅のRPGがやってみたくて小説という形で、自分の物語を書くことになった。

小説を3作書いて、自分の物語はいったん置いておくことになった。
今、語るべきことは語ったという実感があった。
それは子どもの頃に語られたこうした漫画やゲーム、ファンタジーなどの影響から逃れて、自分の物語を構築した後に、もう一度、昔、語られていた物語について考える時期がきたということでもある。

ドラゴンクエストとファイナルファンタジーの物語の大きな違い、特に5作目から7作目ぐらいにかけての話だけれど、僕は圧倒的にFF派だった。
当時から理由はいろいろあったのだけれど、宮崎駿らにも通じるポストインダストリーの影響を受けたストーリーが、僕の琴線に触れていた。
同時に、それは西洋と東洋、近代化と情報化社会という現代的なテーマとも通じるところがある。

KID Aという小説では、RADIOHEADのトム・ヨークがハーメルンの笛吹男の影響を受けて書いた歌詞と、自分の雑誌編集者体験が土台になってストーリーが語られている。
そのなかで語られているものは、今でも現代的だと思っているけれど、話を元に戻す。

FFは、特に5,6,7では世界が一変する、崩壊するなど、工業化社会の限界を捉えていた作風が80年代から90年代の終わりに時代の空気を含んでいた。
特にFF6の世界崩壊前と世界崩壊後という世界観は、とても現代的だといえる。

子どもの頃の僕たちは平和な世界でテレビゲームを友だちとしながら、宮崎駿のアニメを観るみたいに、世界の滅びの物語を楽しんでいた。

今、東日本大震災や洪水、豪雨など工業化社会が崩壊の中にあるなかで、僕はこれらの物語を思い出している。

あの時、ゲームの中でどんな思いで崩壊した世界の中を旅しただろう?
どうやって仲間と再会しただろう?

凄くそういうことを思っている。

日本昔話の影響力はなくなっても、物語の中に世界の予見性はあり、そのなかに自分の為すべきことはなんなのか、語られていたのではないか?

物語って実は凄いですよね。