9月になってtwitter上の誰かが古いものをなくしてしまいたいなら、それはなくなるという予言のような言葉を呟いていた。
その時は気にもとめなかった。予言はいたるところにあり、何が真実かわからないからだ。
確か堀江とか船場とかを歩いたり、梅田で買い物していた頃の話だ。雑誌編集者をしていた時に(それはもう20年近く前の話だ)、ダブダブの服を着ていた僕は、上司に怒られジャケットを買うことになった。69/79とタグに書かれたジャケットだ。イギリスのインディーズブランドのジャケットで、確か6万円ぐらい値段がした。
ある店でUnderworld好きの店員と意気投合し購入した。
上司に言われていたし、店員とも話があった。まだ若かった僕は勢いで、その服を買ってしまった。青い象徴的なジャケットだった。
高校生の時も、確か青いジャケットをよく着ていた。今思えばどこか背伸びした格好で、似合っていなかったと思う。
ファションも音楽と同じでなんらかの心理的なものが顕れている。身につけるアクセサリーとか、呪術的な意味があって、装身具には魂がこもっている。この魂のようなものを現代的に読み解けば、人が何かを選ぶ時に、なんらかの心理的な意味があるということだ。
青いジャケットは、僕が人生で購入したいちばん高い服となりそうだった。でもサイズがしっくりとこなかったせいであまり着なかった。
つい先日、必要性があってそのジャケットを着て出かけた。
サイズはびったりになっていたし、今こそこのジャケットを着るべき時ではないかと思った。でも太陽の日差しは暑く、まだジャケットを着るにははやい季節だった。小脇にジャケットを抱えて目的地を目指していたけれど、到着してジャケットを忘れてきたことがわかった。電車の中に置きざりにしてしまったのだ。
なくしてしまったものを考えても仕方ない。
最も高いジャケットがいちばんお気に入りというわけじゃない。でもその服は長い間、僕のクローゼットの奥で眠り続け、そしてどこかに消えてしまった。
役目を終えたアクセサリーは壊れてしまったりすることがある。僕の青いジャケットも、なんらかの役目を終えて消えた。
ただなくしただけじゃないかという人もいるかもしれない。でも運命的に消えたのだと思いたい。そしてそれは僕自身の中から消えゆく何かでもあるのだろう。
人生には変化がある。そしてそのことを教えてくれるささやかな出来事がある。僕はもうあの頃の僕ではない。運命の青いジャケットは、今は別の誰かが着ているのだろう。