小説を書くことは書くほどわからなくなる。
バンドで演奏したいと思った時、憧れのアーティストの曲をコピーすることは上達の秘訣だった。憧れで真似をする。ライブのジャンプまで模倣する。
子どもが言葉を覚えることも、まずは父親や母親の模倣からはじまる。
耳で演奏を聴いて何年かかけて、聴いた曲はなんとか演奏できるようになる。
でもそれでギターが弾けたとは思えなかった。
ではどうするのか? シンプルなギターのコードと歌で圧倒的なオリジナリティを獲得していたニルヴァーナのカート・コバーンの演奏を聴きながら音楽について考えていた。
体験を元に、今、バンド小説を書いているのだけれど、小説の書き方は体験がヒントになることもある。
小説を初めて書きはじめた時、Apple(当時はまだApple Computerだった)のiMacのボンダイブルーを購入し、タイピングを覚えながら、村上春樹の「スプートニクの恋人」を書き写した。
タイピングはその作品を半分程度、書き写したら覚えたので、最後までは書き写さなかった。(最後まで書き写せばよかったと今は思う)
でも、書き写すことはギターと同じだと感じていたことを覚えている。まずは模倣だ。
音楽をコピーする。小説を書き写す。まず自分が覚えたいと思うようなものを、吸収する。表現の幅を広げる。技術を身につける。
プログラマーも、まずは文法を覚え、コードを読むことが大事だという。同じだ。
どんなことも、まず真似をすることからはじめる。
とても大切なことだ。ギターが弾けなければ、文章をタイプできなければ感情を表現することなんて、できないからだ。
でもある程度ギターを弾けるようになったり、文章を書けるようになると、ギターを弾くことや文章を書くことを目的に、弾いたり、書いたりしても仕方なくなる。
つまり、弾くべきこと、書くべきことが、自分の中から生まれてきて、初めて成り立つ。
演奏の仕方、小説の書き方は、最初は模倣だ。
次は、自分が表現するべきことをみつける。それは自分自身を発見することでもある。
音楽では、それを見つけ、大学で納得のいく曲が書けた。
同じことを繰り返している。音楽は常に僕の師だ。
音楽を演奏したことが、自分の文章がどこへいけばいいかを教えてくれている。
そう信じている。