歴史は繰り返すだろうか?
真実はわからない。けれど人は様々なことを繰り返している。それをいろんなふうに表現することができる。心理学的には”再演”という言葉で表現するらしい。
“再演”について簡単に触れると、父親や母親、兄弟、親友など関わりのあった人との関係が繰り返されることを言うようだ。
村上春樹の著作『海辺のカフカ』では、主人公の田村カフカが姉的な存在に出会ったり、母的な存在に恋したりする。そして実際に父的な存在が邪悪な形で登場する。ここで描かれる姉的、母的、父的というのは、とても心理学的なものだ。そして実際の父や母や姉ではない存在が、主人公の内的な像を塗りかえる。一種の成長物語となっている。
父親との関係や母親との関係、兄弟的なものとの関係の”再演”はありそうだ。人との関わり方を脳が記憶しているのだから、その記憶している行動を再び繰り返すということは、誰にもあることなのかもしれない。
僕の場合、小学生時代に5年間親友だった人との経験が、様々な人との関係の中で”再演”されているような気がする。凄く親密な関係を彼とは築いていた。
妻と旅行に出かけたり、映画を観て感想を話したり、なにかのトピックについて話したり。深く親密な関係性においては、子ども時代の僕が”再演”されていると感じる。
好きな映画について語ったり、自転車で町中を走りまわり、少しずつ頭の中に地図を作って行ったり、なんでもないことで笑い転げたり、一緒に小説を書いたり。
誰もが人生の中で身につけてきた行動を規模は異なっても繰り返しているのではないか? あるいは。
繰り返しながら、新しい記憶を蓄積していく。言わば地層のように過去が上塗りされていくのだ。そして新しい関係性を通過した自分になっていく。
親子関係や友だちとの関係、異性関係は、誰もがいつも幸せな記憶を持っているわけではない。でもどこかで誰かと親密になれた記憶は、他者に対する良いふるまいや感情を思い出させてくれるし、苦しみの記憶すら良い方向に上書きされる可能性がある。
幸福の追求って、人と幸せな関係が築けた記憶に向けて、何度もそれを再現しようとする試みであり、人生の苦しみを喜びで塗りかえていくことではないか?
だとするなら、より大きな歴史のようなものも、またより良い時代を目指すことも可能なのだろう。
精神的には”再演”の中で、つまづきを超えられず、過去のしこりみたいなところにまで退行してしまうこともある。歴史もそういうものなのかもしれない。でも、心理学的には退行を抜け出した後で、大きな成長があると聞いた。
悪い歴史が繰り返しそうになったら、より大きな時間の流れのなかでは、きっとその先には飛躍もあるさと考えるようにしている。螺旋階段をのぼるように。