村上春樹さんのエッセイが好きだ。小説ももちろん好きだけれど、エッセイもまた格別だ。
文章を読んでいて、それも何度も読んでいて、気がついたら自分の文章はかの人の文章に似ているかもしれないと思う。
でも、どこかでは違った部分があって、それが僕だと思う。
たとえば春樹さんのエッセイには奥さんが出てきて、女性はいつも怒っていて、男性はその嵐のような怒りを黙ってとおりすぎるまで待つしかないというような意味のことが書いてある。
そういうものか、と若い頃は思っていたのだけれど、これはどうも違うようだ。
僕も結婚して何年も経過しているけれど、うちの奥さんの怒りは沈黙に満ちている。
彼女は怒らない。いやそれは違うな。彼女は怒りを言葉にしないのだ。
メールを送ったりしても返事がない。いつも決まった時刻に帰ってくるのだけれど帰ってこない。
そういう静かな怒りが彼女の持ち味だ。
楽しい時はすごくいろんなことを話すし、心からの笑顔をうかべる。
でもストレスがたまって、疲れていてしんどそうな時は、静かに沈黙している。僕はその沈黙がとけることを待つことになる。
なんだか天照大神みたいな話だ。
彼女は深い井戸の底に降り、その暗がりで静かに怒っている。
もう二度と話すものか。そう決めてしまったみたいに。
そういう場所から出てくるまで、だいたい1日か2日、時間がかかる。僕は彼女が僕と話をしたくなるまで、ひたすら待つ。音楽でも聴きながら待つ。あるいは本でも読みながら待つ。でもたいていは彼女のことを心配していて、心は穏やかではない。
どうしたら雨がやむのだろうと考えている。
あるいは僕は雨がやむまで、ずっと祈っているべきなのかもしれない。踊りながら。
でも天候を操ることができないように、彼女の沈黙をうちやぶる方法はない。
人によって、怒り方というのは千差万別だ。
春樹さんの奥さんの嵐のような怒りも大変そうだけれど、うちの奥さんの梅雨みたいな沈黙もけっこうこたえる。
どうか、彼女の心が晴れますように。