凄いものをみた時に、自分もやりたいと思うか。それとも自分にはできないと思うか。
これは凄く根本的な命題だと思う。
僕は10代はギターロックが好きで、バンドをしていた。音楽に対して憧れの気持ちしかなかった。自分もロックスターのようにギターが弾きたかったし、歌いたかった。そして今、ふりかえってもバンドやって良かったととても思う。
憧れの気持ちがギターを手にとらせて、そして音楽の道へ踏み出した。
とてもシンプルな衝動だ。
同じように小説を読んでいたから、いつか小説を書きたいと思った。
これもとてもシンプルだ。憧れの気持ちが内側から湧いてきて、自分にもできるかもしれないと、最初の一歩を踏み出す。
この時、そんなことしたってしょうがないよなんて言う人もいるかもしれない。
でも、それはわからない。
仕事って方程式で答えを解くみたいに、成功の仕方が決まっているようなこともあって、誰でもできるようになっていることもある。だから上司や会社の手足のようになって、決まっている正解を繰り返していく。だからミスをすると、答えは決まっているのに問題が起きたじゃないかと怒られる。
もちろん、そう言いたくなる気持ちはわかります。
学校の勉強も似ているところがあるかもしれない。答えが決まっている問いに対して、どれだけ正解することができるか? そういう答えの決まっている部分がある。
いっぽうで、音楽や文章に決まった正解というものはあるだろうか?
これはわかりません。成功した人は、自分の成功の仕方について語るかもしれない。でも同じやり方をしても、成功するかどうかわからない。音楽とか文章は、そういう新しい正解を自分で生み出すことができるかもしれない世界だと思います。
自分にもできるかもしれない。そう思わせてくれる人たちはとても凄いと思う。
俺はこんなに凄いんだ。だからお前にはできない。そう語りかけてくる人は、凄いのかもしれないけれど、何かが違う。そう思う。
自分にも何かができるかもしれないという気持ち。
そういう気持ちが湧いた時はチャンスだと思うし、それはしなければならないことではなく、自分がやりたいと思ったことだ。
生きている意味なんてわからないこともあるけれど、心からやってみたいと思ったことは、その人を生かすのではないか?
そう思います。
もちろん、生きているとしなければならないことが沢山あります。
むしろしなければならないことに囲まれているといってもいいのではないだろうか?
でももっとシンプルにできるのではないか?
もっと自分の心の声を聴くべきじゃないか?
凄いものをみた時に、感動して自分もやってみたいと思うか。それとも自分にはできないと思うか。
何かに感動して与えられたものは、同じように誰かの心を揺さぶるまで続けられるかもしれない。
受けとったものを与えられたら。そういう願いが心の奥にはあるような気がします。
本を読んだ人が、本を書きたくなったり、音楽を聴いた人が音楽を演奏したくなったり。何が素晴らしいもので、何が素晴らしいものでないか。とてもシンプルな部分がある。
そして仕事でも、あの人のようになりたいと思える人がいる職場なら、それはきっと素晴らしい職場だと思います。
憧れの気持ちのまま、近づいていく。そういうふうに生きているような気がします。