情報化社会になって久しい。
昔はなにか面白いものを読みたいなと思ったら、本屋に行っていた。町の本屋に面白い本がたくさんあって、毎日、何か読みたいと思っていた。
あるいは学校の図書館に行って、本棚を眺めては面白そうな本を探していた。
服をよく買う人は、どんな服屋にどんな服があるのかよく知っていると思う。また毎日、買い物をして食事をつくる方は、スーパーに行くだけではなく、今日はどんな食材が安くて美味しそうか、自然と目利きをするようになるのではないだろうか?
インターネットを利用するようになって目利きは、随分変わった。
本屋でも、スーパーでも、洋服屋でも、お店は自分でみてまわり、その場所に何があるのか、身体をつかって探す部分がある。
これはひょっとすると、大昔に森の中に入って、食料を探したりするような身体を使う行為の延長線上にあるのかもしれない。
しかしディスプレイの中で検索ワードを入力したり、twitterのタイムラインに流れる情報から何かをみつけだすことは、身体を使用する行為とは大きく異なる。
検索力。目利きは検索力に変わってしまったのかもしれない。
答えをみつけるための検索力が、現在の情報化社会を支配している。
もちろん疑問に思ったことの答えがすぐにみつかることは素晴らしい。
しかし、ただ面白い本を探して毎日、本屋に通っていたような興奮は少なくなってきている。
情報は簡潔で、疑問(クエリ)に対してすぐに回答を与えるデータベースの中からの答えにすべて変貌してしまっているからだ。
だから、夢中になってページをめくるような体験を探すことはとても難しくなってきている。すぐに答えを与えられる。そういう世界に変わってしまった部分があるからだ。
それでも、今もゲームに夢中になって遊んでいる子どもがいるように、フィールドをかけまわり、風を感じ、そして思いがけない幸運と出会うような素晴らしい体験というのはあるのではないだろうか? この現実の世界であれ、ARの世界であれ。
もしどこかに面白い物語があったら、誰かそっと教えてくれませんか?