短編音楽小説
短編音楽小説#93 世界の沈黙
abejunichi
世界の沈黙
何もかも、許せるようになる時。そういう年齢がある。
昔のこと。あれは、自分が生み出した問題だったのかもしれない。どこまでも影がついてくるように、僕は嵐の中にいた。でも今は、通り過ぎた過去だ。懐かしい友人と再会し、酒を飲むこともできる。
盆の金曜日の夕方、僕は歩いて店へ向かっている。ゆうべは、どの家の門の前でも小さな火が焚かれていた。迎え火だ。今日はもう焦げた跡だけが残っている。蝉は、まだ鳴いている。
この町に帰って、もう長い。生まれた町だ。いっとき都会に出て、戻ってきた。都会を離れると人に言うたび、もったいない、という顔をされた。彼らが惜しんでくれたのは、通勤の電車の乗り換えの選択肢の多さだ。僕が欲しかったのは、選択肢ではなく、選び終えたあとの時間だった。
その時間で、僕は世界を作っている。
机の上に画面が二つ。それが僕の仕事場のすべてだ。僕はそこで、この世になかった場所を作る。世界に二つとない場所。言い方を変えれば、どこにもいられないものが、いていい場所を作っている。大きな会社なら十人で作るものを、ひとりで作る。ひとりで作れる時代が来たからだ。人工知能という道具が現れたとき、世間は仕事を奪われる話ばかりしていたが、僕の手に起きたのは逆のことだった。僕はひとりでなんでもできるようになった。朝に思いついたものが、夜には動いている。
電車には、ずいぶん乗っていない。乗らずに済む暮らしを、時間をかけて作った。憎んでいるのではない。ただ、乗らない。電車に乗っていないから、許せるのだと思う。世界を。理不尽は今もある。ただ、自分の場所を自分で選び、そこで作ると決めた。それだけのことに、三十年かかった。
店は宮司が選んだ。彼の町の、彼の行きつけだという。歩いて来られる距離やろ、と電話で言われた。その通りだった。僕の家から橋を一本渡れば、彼の町だ。
のれんをくぐると、宮司はもう座っていた。
彼が店に入ってくるところを、そういえば僕は見たことがない。待ち合わせをしても、いつも先にいる。奥の座敷、上着も脱いで、何年も前からそこで飲んでいたような座り方で、おう、と片手を上げた。
宮司、と呼ぶのはまだ少し可笑しい。僕らにとって彼は長いこと神主の息子で、バンドではドラムだった。技術は僕らの中でいちばん怪しかったが、拍だけは絶対に狂わなかった。
遅れてもうひとりが来た。キャリーケースの車輪の音。空港から直接だと言う。盆やからな、と彼は言った。お盆だけは体が日本へ向く。前にいた街を訊くと、僕の行ったことのない国の都市の名を、コンビニの名前みたいに言った。長い移動をしてきた男の匂いがした。
座敷に上がって、三人でグラスを合わせた。旅の男がグラスを目の高さに掲げて、しげしげと見た。
ガラスの器や、と彼は言った。湯呑みとちゃうんやな、今日は。
それで、三十何年前の台所が、いっぺんに思い起こされた。
高校は京都にあった。僕は毎朝、電車で運ばれて通った。長い通学だった。あの頃の僕にとって電車とは、行きたくない場所へ正確に運ばれるための機械だった。
神主の息子だけが、下宿していた。実家の社は山のほうで、電車が通っていないのだと言った。それで学校の近くに部屋を借りていた。六畳と台所。そこが僕らの溜まり場となった。
授業をさぼると、僕らはあの部屋にたむろした。誰の許可も要らなかった。部屋の主が、来る者を拒まなかったからだ。あの男は十六の歳からすでにあの男だった。先にいて、場所を開けておく側の人間。僕らは瓶ビールを買い、台所にグラスがないので、湯呑みで飲んだ。湯呑みのビールの味は、いまでも思い出せる。ぬるくて、少し茶の匂いがして、この世のどんな酒より旨かった。
その部屋には、時々、姉さんが遊びにきた。
あいつのひとつ上の姉で、弟の下宿に田舎から遊びに時々来たのだ。夕方にふらりと来ると、六畳に転がっている僕らを見て、またおるん、と言った。咎める声ではなかった。学校には言わなかった。
あの部屋で、誰も、なぜ学校に来ないのかと訊かなかった。部屋の主は訊かず、姉さんは、またおるん、とだけ言った。存在に理由を要求されない場所に、僕は生まれて初めていた。世界で最初にいていい場所が、神主の息子の下宿だった。
姉さんは本を読む人だった。台所の椅子で、よく小説を読んでいた。あるとき僕が背表紙を覗き込むと、読む? と言って村上龍を貸してくれた。それから僕らは、ときどき小説の話をした。小説の話をする相手は、彼女が最初だった。
いちばん覚えているのは、バンドの話になったときだ。あんたらの音楽、何やってるん、と姉さんが訊いた。僕は好きなバンドの名前をいくつか並べた。難しい音楽ばかりだった。姉さんは少し笑って、読んでいた小説を軽く持ち上げた。これにも書いたある。好きなバンドと、演奏できるバンドは、違うんやって。
その通りだった。僕らの指は、僕らの耳にまるで追いついていなかった。だから僕らは、コードが三つで済む簡単なパンクをやった。下手なまま、大きな音で、速く。それでも音楽は音楽だった。あれ以上に音楽だったことが、その後の人生にあったかどうか。
今度、見にいったげる、と姉さんは言った。
その約束は、果たされていない。
練習は、鴨川の向こうの貸しスタジオでやった。一時間いくらの金を出し合って、月に二度、二時間。学校が終わると、僕ともうひとりはギターとベースを担ぎ、神主の息子はスティックだけを尻のポケットに差して、橋を渡った。ドラマーというのは横着な生き物で、いちばん大きな楽器を叩くくせに、いちばん身軽に歩く。風の強い日は、背中のケースが帆になった。橋の真ん中で突風が来て、あいつが欄干に押しつけられて、ベースごと川に落ちかけたことがある。
落ちかけたんは俺やない、お前や、と旅の男が言った。いや、俺が落としかけたんはピックだけや、と僕は言った。どっちでもええ、両方の襟首つかんだんは俺や、と宮司が言った。三人の記憶は細部で食い違い、食い違ったまま、どれも本当のことのように卓に並んだ。
橋を渡り切ると、世界の音が変わった。川のこちら側には学校があり、時間割があり、僕を運んでくる電車があった。向こう側には、金で買った二時間だけがあった。誰に言われて行くのでもない場所へ、自分の楽器を自分で担いで行く。いま思えば、あれが最初だった。帰り道、夜の橋はいつも風が強くて、汗が冷えて、腹が減っていて、それなのに、行きより帰りのほうが、なぜか歌を歌って橋をわたった。
学校の授業は、ほとんどまともに受けなかった。ただ一つ、妙に覚えている時間がある。古典だ。定年間際の爺さんの教師で、チョークも投げず、怒鳴りもしなかった。僕が机に突っ伏して寝ていると、爺さんは声を張るでもなく言った。
寝てる者ほど、聞いとけ。
そして和歌を一首、黒板に書いて、二度、ゆっくり読み上げた。
ながらへば、またこのごろや、しのばれむ。
なあ、あれ、下の句何やったっけ、と僕は座敷で言った。旅の男は箸を止め、ながらへば、と口の中で転がして、出てけえへん、と言った。宮司も、上の句は出るのになあ、と首をひねった。三人とも上の句だけを覚えていて、下の句を三十年、どこかに置いてきていた。
爺さんは、あのときこう言ったのだ。これは年寄りの繰り言やない。若いもんへの伝言や。いま憂き目を見とる者ほど、覚えとき。
僕は寝たふりのまま、動けなかった。爺さんは軽々とその歌を詠んだが、あの頃の僕に、そう簡単に生きながらえると思えなかった。ながらえるかどうかが、まだ決まっていなかった。だから下の句は聞かなかったことにした。一生この世を憂しと見続けてやる、という誓いは、強がりではなかった。「一生」というものが手に入るのかどうか、あの頃はわからなかった。
ひとしきり笑って、それから旅の男が、ふっと声の高さを落とした。
俺はもう、すっかり社会の側に染まってしまったよ。
詫びるような言い方だった。僕に向かって言ったのだと分かった。まだ戦っている側の人間に、投降した兵隊が差し出す言葉。それは彼の律儀さで、同時に、三十年ぶんの誤解だった。
僕ももう、怒っていないよ。
そう言うと、彼は少し黙って、そうか、と言った。染まった、と彼は言い、許せるようになった、と僕は思った。言葉の違いではなく、生き方の違いだ。そして彼は世界をまわっている。僕は歩いてこの場所に来た。そういう違いだ。
で、お前はいま何してるんや、と彼が訊いた。
作っている、と僕は答えた。
何を。
世界を、と言ってから、伝わらない気がして言い直した。仕組みを。サービスを。人工知能を使って、ひとりで。
ああ、それな、と彼は言った。どこの国へ行ってもその話や。空港でも商談でも、どの街のタクシーの中でも。世界中がいまその話をしとる。俺は世界中でそれを見とる側や。お前は、と、そこで言葉を選んだ。お前は、作っとる側なんか。
そうだ、と僕は言った。
ほう、と彼はグラスを傾けた。人工知能に作らせて、お前は何しとるんや。
イメージしたものを作るだけだ。イメージするのは僕だ。
ふうん。
なんや難しいことを、今も考えているんじゃないか? 彼は声を出して笑った。
音楽は、もうやらんのか、と彼は続けた。
これに正直に答えるには、少し時間が要った。
音楽は、心を鎮めるためのものだった。鎮める必要が、いまはあまりない。そう答えると、彼は何かを了解したような、し損ねたような顔で頷いた。嘘は言っていない。
あの頃、音楽は薬だった。音を鳴らしているあいだだけ、心が静まった。鴨川の向こうの二時間だけ、嵐が止んだ。三つしかないコードを、世界と戦うために掻き鳴らしているつもりで、ほんとうは自分を鎮めるために鳴らしていた。だから楽器を置いて橋を渡り、電車に乗って町へ帰ると、嵐は毎回、改札の外で待っていた。
なぜ薬が必要だったのか。それを僕は、友だちには言わなかった。
高二の終わりから高三にかけて、朝、駅のホームに立って、電車に乗れなかった時期がある。改札までは行ける。階段も上がれる。白線の内側に立って、電車が来て、扉が開いて、閉まって、行ってしまう。それを何本か見送って、家に帰った。理由を訊かれても言えなかった。自分でも分からなかった。分かっていたのは一つだけで、あの箱に乗ると、自分が消えてしまいそうになる、ということだった。
学校が怖かったのではない。もっと静かで、もっと悪いものだった。世界のどこにも、自分の場所がないという感じ。教室の座席表に名前はある。出席簿にもある。でもあれは場所ではない。番号だ。世界は僕を数えてはいたが、必要とはしていなかった。誰にも呼ばれていない。それに気づいてしまった人間は、静かに消えてしまいそうになる。消えても世界の帳尻は合うのだと、あの頃の僕は思っていた。そう思っている、ということが、いちばんよくなかった。
怒りは、そのあとに来た。そして怒りが来たとき、僕は助かったのだと思う。世界が許せない、と思っているあいだ、僕は世界に繋がれていた。憎むというのは、鎖の一種だ。消えていきそうになる人間が最後に掴む鎖。だから僕の叛逆は、思想ではなかった。生きているということだった。時間割に怒り、校則に怒り、それを配ってくる大人の全員に怒っているあいだだけ、僕はここにいた。音楽は、その怒りに形を与えた。音は薬だったというのは、だから、比喩ではない。
そして楽器を置いてから、作ると決めるまでのあいだには、長い空白があった。音のしない年月。あの年月、僕はたぶん、許可を待っていた。作っていい、という許可を。誰かが、どこかの機関が、正式に発行してくれるのを。学校は発行しなかった。会社も、都会も、発行しなかった。世界は黙っていた。若い僕はその沈黙を、禁止と読んだ。いや、もっと悪く読んだ。お前は要らない、と読んだ。誰も作れと言わず、誰も来いと言わず、誰も呼ばない。その静けさを、不要の宣告として聴いた。嵐の正体は、たぶんそれだった。要らないと言われたと信じた男の、言った覚えのない世界への怒り。だが世界は宣告などしていなかった。ただ黙っていた。六畳の惨状を知っていて学校には言わなかった姉さんのように。寝ている生徒を叱らず、伝言だけを置いていった爺さんのように。そう読んだのは、僕だ。あれは、自分の側が生み出した問題だったのかもしれない。
人工知能が使えるようになった朝のことは覚えている。思いついたものが、その日のうちに形になった。誰の決裁も要らず、誰も止めに来なかった。作っても、世界は黙っていた。同じ沈黙だった。同じ沈黙が、今度は、いてもいい、作っていい、に聞こえた。禁止と許可は、世界の側では同じ顔をしている。読み分けるのは、こちらの年齢だ。
いまは、作ると決めている。それが許されているのだ。誰かの署名によってではなく、朝起きて机に向かえば今日も誰も止めない、という広大な沈黙によって。
ところでな、と宮司が徳利を置いた。折り入って頼みがある。
大晦日、手伝いに来い。
僕と旅の男は顔を見合わせた。盆に正月の話か、と旅の男が言った。盆と正月はつながっとる、と宮司は言った。人手が足りん。親父の代から来てくれとった爺さんらが、去年で三人辞めた。夜通しの番ができて、口が堅うて、火の扱いの分かる男が要る。
お前、それ僕らに言うか、と旅の男が言った。学校さぼって人の下宿で酒飲んどった男らやぞ。
だから言うとる、と宮司は動じなかった。夜更かしの実績がある。
旅の男は携帯の予定表を出して、うわ、と言った。大晦日、俺は空の上や。年越しの瞬間、たぶんどこの国の上でもない。海の上や。悪いな、と本当に少し悪そうに言った。
宮司は僕を見た。歩いて来られる距離やろ、と言った。
その言い方に、僕は笑ってしまった。三十何年前、同じ顔で僕らを夜の中へ連れ出した男が、そこにいた。
あれも大晦日だった。高三の年の瀬、僕らは例の下宿に泊まり込んでいた。除夜の鐘が鳴り始める前に、あいつが立ち上がって、行くぞ、とだけ言った。どこへ、と訊いても、来れば分かる、と笑っていた。
あの冬は、僕がいちばん苦しんだ季節だ。あいつがそれを知っていたのかどうか、いまも分からない。訊かない男だから。
外へ出ると、あいつはそのへんの自転車を三台、造作もなく調達した。盗んだのではない、年を越すあいだ借りただけだ、と僕らは言い合った。返したかどうかは、覚えていない。
僕らは夜中じゅう、京都の街を走った。八坂さんの人波の縁をかすめ、東山のほうへ上がり、名前も知らない小さな社の前で手を合わせ、また下って、神社から寺へ。どこの門が開いているか、あいつはぜんぶ知っていた。同業やからな、と自慢にもならない自慢をした。夜の京都は、昼間とは別の街だった。人の絶えた路地の奥で、線香の匂いだけが濃くなった。どこかの本堂の前で甘酒をもらい、どこかの境内で焚き火に当たった。息が白かった。自転車のライトが三つ、真っ暗な参道を上下に揺れながら進んでいくのを、僕はいちばん後ろから見ていた。
鐘が、鳴っていた。
知恩院の鐘が鳴るときは、街の底のほうから空気ごと動いた。僕らは音を鳴らす側の人間だったから、黙って音を聴くことに慣れていなかった。でもあの夜は聴いた。安物のアンプから出るどんな音よりも古い音が、暗い空の低いところを渡っていくのを。あれは聴く音ではなかった。街ごと浸かる音だった。煩悩を百八つ消すための音だと教わったのは、あの夜だったと思う。怒りも煩悩のうちに数えられているとは、考えもしなかった。
社も寺も、あの夜、僕らに何も要求しなかった。信じているかとも訊かれず、社と寺の両方を回る節操のなさも咎められず、自転車のことも問われず、ただ、来た者として扱われた。夜の中で、門は開いていた。世界に、部屋があった。番号ではなく場所が、こんな夜更けに、誰にでも。世界の沈黙が宣告ではないということを、僕はほんとうは、あの夜いちど聴いていたのだ。受け取るのに三十年かかった。この男は口では何も教えなかった。走り方で教えた。
大晦日、行くよ、と僕は言った。
よし、と宮司は言った。火の係な。それから思い出したように付け加えた。姉貴も帰ってくるで、正月は。
僕は、はいともいいえともつかない音で返事をした。
見にいったげる、と言った人は、僕らの演奏をとうとう見なかった。バンドは、見せられるような舞台をついに用意できないまま終わった。約束は果たされていない。果たされないまま、続きだけが先に来る。今度その人が見るのは、ギターを構える少年ではなく、境内で火の番をする白髪の男だ。約束の形は、もう合わない。合わないまま、それでも同じ火のそばに立つことはできる。
過去を保つ男と、現在を見る男と、次を作る男が、同じ卓で飲んでいる。どれが正しかったのか、若い頃の僕なら酔いにまかせて順位をつけただろう。叛逆というのは、つまるところ、世界に順位をつけずにいられない情熱のことだった。いまは、つけようと思わない。それぞれの払い方で払い、それぞれの受け取り方で受け取った。それを並べて眺めながら黙って飲めることが、僕らが手に入れたもののほうの名前だ。
旅の男が、終電の時間に立ち上がった。来週にはまた別の国だと言う。駅へ下りていく背中を、僕と宮司は店の前で見送った。キャリーケースの車輪の音が、角を曲がって消えた。
俺はもう少し飲んでいく、と宮司が言った。ここは俺の町やから。
当たり前のようにそう言える男を、僕は四十年近く知っている。ずっと、先にいて、場所を開けて、あとに残る側だった。六畳の下宿の頃から、そうだった。
僕は歩いて帰る。
橋にかかる。鴨川ではない。生まれた町の、名もない川だ。それでも夜の川風が欄干を渡ってくると、背中が覚えている。ケースの重さ、肩に食い込む紐、帆になって煽られた日のこと。川はちがう。橋もちがう。担いでいるものも、もう何もない。背中だけが、同じだ。
欄干に手を置いたとき、それは来た。
憂しと見し世ぞ、今は恋しき。
下の句だった。三十年、どこに仕舞われていたのか。探しても出てこなかったものが、川風の中で、向こうから届いた。死んだ者が帰ってくる季節に、八百年前に死んだ男の言葉が、川を渡ってきた。ながらへば、またこのごろや、しのばれむ、憂しと見し世ぞ、今は恋しき。生きながらえたなら、いま憂しと見ているこの日々さえ、いつか恋しく偲ぶのだろう。このごろ、と歌は言う。憂しと見ている、いまこの日々のことだ。それが盆の川風の中では、ちょうど今ごろの季節、と聞こえた。一年でいちばん、偲ぶことが仕事になる季節。爺さんは伝言だと言った。その通りだった。あれは八百年前の男が、憂き世の真ん中から、生き延びたあとの自分に宛てて投げた手紙で、爺さんはそれを、寝たふりの高校生に配達しただけだった。下の句は、生きながらえた者にしか届かない仕組みになっていた。だから三十年かかった。かかって、届いた。届く季節まで、決まっていたのかもしれない。
世界は黙っている。ずっと黙っていた。その長い沈黙の中で、一度だけ先に声を出していた者がいて、それが歌だった。憂しと見てよい。そしていつか、恋しく思ってよい。恨むことも、恨みをやめることも、先に許されていた。僕はこの世を一生憂しと見続けてやると誓い、その誓いを破った。でも、あの誓いがこっそり予約していたもののほうは——一生、という時間のほうは——こうして果たされつつある。
影は、もうついてこない。いつから来なくなったのか分からない。嵐がいつ止んだのか、嵐の中では分からなかったように。ただ、順序だけはいまは言える。世界を許せたから作れたのではない。作ると決めた日から、世界が許せるものに変わっていった。許すことと、許されていると知ることは、同じ一つのことの、こちら側とあちら側の呼び名だった。
許していないものは、いまもある。消えたのではなく、感情であることをやめて、通らない道になった。地図の上に静かに残る、乗らない路線。あの頃、白線の内側で見送った電車と、同じ路線かもしれない。それでも生きられる。ながらへば、だ。
橋を渡り切って振り返ると、川向こうに店の灯がまだ小さく見えた。あの灯の下に、ここを保つ男が残っている。明日の朝、僕は机に向かって続きを作る。どこにもいられないものが、いていい場所の続きを。年の終わりには、火の係だ。参る側から、夜通し門を開けておく側へ。盆のあいだ、家々の軒に灯っているのは、死んだ者を呼んで、また帰すための灯だ。僕がこれから番をするのは、生きた者を迎える火だ。呼ばれていないと信じていた男が、呼ぶ火の側に立つ。
除夜の鐘は、憂しと見た日々ごと、僕らを打ってくれるだろう。
歩いて行ける距離に、それはある。