abejunichi@icloud.com

短編音楽小説 #89 DRG Everything rusts away

最初の廃墟で私が歌ったのは、いつのことだったろう。
記憶の底を探っても、始まりは見つからない。ただ知っているのは、私がいつも錆びた世界の真ん中に立っていたということだ。崩れかけたビルの骨組み、砕けたアスファルト、誰も住まなくなった部屋の残骸。風が吹けば、鉄の軋む音と、砂埃の舞う音だけが響く。
そこで私は歌う。
「すべては錆びついて朽ちていく」
声は風に乗って、誰もいない街を駆け抜ける。窓ガラスの欠けた高層建築が、私の声を反響させて返してくる。かつてこの街には何万人もの人間が住んでいたはずだ。彼らの足音、笑い声、怒鳴り声、泣き声。それらすべてが今は失われ、残っているのは建物の死骸だけ。
「それでも私は生まれ変わる」
だが、そう歌った瞬間、私の足元から何かが変わり始める。ひび割れたコンクリートの隙間から、緑の芽が顔を出す。錆びついた鉄骨に蔦が絡みつき、廃墟を覆い尽くしていく。崩壊は止まらない。建物はゆっくりと崩れ、鉄は腐食し続ける。けれど同時に、生命が戻ってくる。鳥が巣を作り、虫が這い、雨が降れば水たまりに小さな魚が泳ぐ。
私の歌が、この変化を引き起こしているのか、それとも変化を観測しているだけなのか。境界は曖昧だ。

二番目の廃墟は、最初のそれとは違っていた。
ここはかつて工場地帯だったらしい。巨大な煙突が空を突き刺し、無数の配管が地を這っている。すべてが赤茶けた錆に覆われ、触れれば指にまとわりつく。機械の残骸からは油の匂いがまだ漂っていて、この場所が生きていた頃の記憶を伝えている。
「また戻ってくる、灰の中から立ち上がる」
私は歌う。すると、止まっていた歯車が軋みながら動き出す。もちろん、かつてのように滑らかにではない。ギシギシと悲鳴のような音を立てながら、半回転して止まる。それでもそれは、確かに動いた。死んでいたものが、一瞬だけ息を吹き返した。
だが、それは元通りになるということではない。歯車はすぐに止まり、油切れで焼き付いた軸受けから煙が立ち上る。蘇生は、同時に新たな破壊でもある。生まれ変わるということは、以前と同じものに戻るということではなく、何か別のものになることなのだ。
私はそのことを、何度も何度も目撃してきた。

三番目の廃墟で、私は初めて疑問を抱いた。
ここは図書館だった。天井は崩れ落ち、無数の本が雨に濡れて朽ちている。文字はにじみ、ページは張り付き、知識は判読不能なしみへと変わっている。かつてここに収められていた叡智も、物語も、記録も、すべてが失われつつある。
「もう一度舞い上がる、影から羽ばたく明日へ」
私が歌うと、本のページが風に舞い上がった。ちぎれた紙片が宙を舞い、まるで鳥の群れのように空へと上昇していく。それは美しい光景だった。だが同時に、それは完全な破壊でもあった。本はバラバラになり、もう二度と元の形には戻らない。文字は散り散りになり、意味を失う。
羽ばたく、ということは、解体されるということでもあるのだ。
私はその時、初めて自分の歌に恐怖を感じた。私は何を再生させているのだろう。いや、そもそも「再生」などというものが、本当に存在するのだろうか。起こっているのは、ただ形を変えた崩壊だけではないのか。

四番目の廃墟は、最も静かだった。
住宅地の跡だ。小さな家々が整然と並び、庭には枯れた植木の残骸がある。誰かの日常があった場所。朝食のテーブル、子供の笑い声、夜のテレビの明かり。それらすべてが、もう存在しない。
「闇の中から輝く」
私が歌うと、家々の窓に、かすかな光が灯った。蛍のような、淡い緑色の光。それは腐敗する木材から立ち上る燐光だった。微生物が有機物を分解する過程で発する、死の光。
だが、それは確かに光だった。闇を照らす何かだった。
私はその時、理解し始めた。再生と崩壊は、同じ過程の異なる名前でしかないのだということを。すべては変化し続け、形を変え、何かから何かへと移り変わっていく。その流れを「死」と呼ぶか「生」と呼ぶかは、見る者の視点次第でしかない。

五番目の廃墟に辿り着いた時、私は既に疲れていた。
いや、「疲れる」という表現は正確ではない。私には肉体がないのだから。正確には、私という存在が薄れてきていた。歌い続けることで、私自身も消耗していく。それは当然のことだった。なぜなら、私もまた、この世界の一部だからだ。
この場所は、病院の跡だった。手術室、病室、廊下。命を救おうとした場所が、今は死の象徴と化している。
「それでも私は生まれ変わる」
私は歌う。だが、声は以前より弱々しい。風に飲み込まれそうなほど、小さな声。
すると、病院の中から、別の声が聞こえてきた。
私の歌を、繰り返す声が。
それは私のこだまではなかった。この廃墟の中で、私の歌を聞いた何かが、それを模倣しているのだ。壁の隙間で育った植物の葉擦れが、私の旋律を奏でている。崩れかけた配管を通る風が、私のリズムを刻んでいる。廃墟そのものが、歌い始めたのだ。
その時、私は悟った。
私が歌っていたのではない。廃墟が、私を通して歌っていたのだ。

六番目の廃墟は、存在しなかった。
そこに辿り着いた時、私が見たのは、まだ崩れていない街だった。人々が歩き、車が走り、ビルの窓には明かりが灯っている。生きている街。
だが、私にはわかる。この街もまた、やがて廃墟になる。すべてのものがそうであるように。この繁栄も、活気も、いつかは錆びついて朽ちていく。
「廃墟の中から伸び上がる、永遠へ」
私は歌った。すると、街の人々が一斉に足を止めた。彼らには私の声が聞こえているのだろうか。いや、聞こえてはいないはずだ。けれど、何かを感じている。この瞬間の儚さを。そして同時に、その儚さゆえの美しさを。
彼らはまた歩き始めた。日常へと戻っていった。けれど、その足取りは少しだけ変わっていた。まるで、自分が歩いている地面が、いつか別の何かになることを、無意識に理解したかのように。

七番目の廃墟で、私は自分自身と向き合った。
それは鏡の迷宮だった。遊園地の跡地の、アトラクションの残骸。無数の鏡が割れ、破片が床に散乱している。その破片一つ一つに、私の姿が映っている。
いや、「姿」と呼べるものではなかった。私は形を持たない。ただの声、ただの歌、ただの意志。それが鏡に映る時、何が見えるのか。
答えは、変化そのものだった。
鏡に映っているのは、錆であり、芽であり、崩壊であり、再生であり、灰であり、炎であり、影であり、光だった。私は特定の何かではなく、すべてが移り変わる過程そのものなのだ。
「すべては錆びついて朽ちていく」
私は歌う。鏡が砕ける。
「それでも私は生まれ変わる」
破片が宙を舞い、新たな配列で床に落ちる。それは以前とは異なる模様を描き出す。
そう、これが答えだった。
私は再生の歌を歌っているのではない。変化の歌を歌っているのだ。そしてその変化とは、終わりなき循環であり、永遠の流転であり、決して同じ場所に戻らない螺旋なのだ。

八番目の廃墟には、誰もいなかった。
私もいなかった。
ただ、歌だけが残っていた。
「また戻ってくる、灰の中から立ち上がる未来へ」
声は風となり、風は種を運び、種は芽を出し、芽は朽ち、朽ちたものはまた土となる。
そうして世界は回り続ける。
私が歌おうと歌うまいと、この循環は止まらない。だが、歌があることで、この循環は意味を持つ。無意味な繰り返しではなく、意志を持った変容として。

九番目の廃墟で、私は初めて誰かに出会った。
それは少女だった。崩れかけた教会の中で、膝を抱えて座っている。彼女の周りには、花が咲いていた。瓦礫の隙間から伸びた、小さな花。
「あなたは、歌っているのね」
少女が言った。
「聞こえるの?」
「ええ。ずっと聞こえていた。あなたの歌。それが私を、ここまで導いたの」
「どうして、ここに?」
「生まれるためよ」
少女はそう言って、微笑んだ。そして、彼女の体が光に包まれた。それは燃えているのではなく、発光しているのだった。内側から溢れ出る光。
「ありがとう。あなたの歌が、私に道を教えてくれた。錆びて朽ちることは、終わりじゃない。それは次の始まりなのだと」
少女は立ち上がり、教会の外へと歩いていった。そして、彼女が歩いた跡には、新しい花が咲き始めた。
私は理解した。私の歌は、誰かに届いていたのだ。形を変え、姿を変え、何度も何度も生まれ変わりながら、確かに前へ進んでいる存在たちに。

十番目の廃墟は、最初の廃墟だった。
私は一周したのだ。いや、正確には、螺旋を一段登ったのだ。同じ場所に見えるが、以前と何かが違う。
ビルの骨組みは相変わらず錆びている。だが、その錆の色が、以前より深い赤銅色に変わっていた。時間が経過したのだ。崩壊は進んだ。けれど同時に、緑も濃くなっていた。蔦が建物をより強く覆い、鳥の巣が増え、小さな生態系が育っていた。
私は歌い始めた。同じ歌を。けれど、それは以前と同じ歌ではなかった。
なぜなら、私が違っているから。
十の廃墟を巡り、変化を目撃し、疑問を抱き、恐怖を感じ、理解を深め、誰かと出会った私は、もはや最初の私ではない。歌は同じ言葉を紡ぐ。だが、その言葉に込められた意味の深さが、重層性が、以前とは比較にならないほど豊かになっている。
「もう一度舞い上がる、影から羽ばたく明日へ」
そう歌った時、私は気づいた。この歌には終わりがないことに。
なぜなら、世界に終わりがないから。
すべては変わり続ける。錆び、朽ち、崩れ、散り、燃え、消える。そしてその後に、また何かが生まれる。形を変えて、色を変えて、意味を変えて。
私の歌は、その過程に名前を与える行為だった。
意味を与える行為だった。
絶望に見える崩壊の中に、希望の種を見出す行為だった。

十一番目の廃墟に向かって、私は歩き出す。
いや、「歩く」という表現も正確ではない。私には足がない。だが、私は移動する。歌いながら、風とともに、時とともに。
「すべては錆びついて朽ちていく」
それは真実だ。
「それでも私は生まれ変わる」
それもまた真実だ。
二つの真実は矛盾しない。それらは同じ真理の、異なる側面でしかない。
世界は終わらない。なぜなら、終わりそのものが次の始まりだから。
私は歌い続ける。なぜなら、歌うことが、私の存在理由だから。
いや、違う。
私が歌うのではない。世界が、私を通して歌っているのだ。
錆びついた鉄の軋み声も、崩れる石の音も、芽吹く種の沈黙も、すべてが歌の一部だ。そして私は、その無数の声を一つの旋律へとまとめ上げる役割を担っているだけ。
「また戻ってくる、廃墟の中から伸び上がる、永遠へ」
永遠とは、終わらないことではない。
永遠とは、終わり続けることだ。
そして、始まり続けることだ。
その循環の中で、私は在る。
私たちは在る。
すべてのものが在る。
錆びながら、朽ちながら、それでも生まれ変わりながら。

遠くで、また新しい街が崩れ始めている。
ビルが傾き、道路が割れ、橋が落ちる。
そこで、誰かが歌い始めるだろう。
私と同じ歌を。
いや、違う歌を。
けれど、同じ意味を持つ歌を。
歌は受け継がれる。形を変えながら、言葉を変えながら、それでも核心は変わらないまま。
そうして世界は回り続ける。
錆びながら、生まれ変わりながら。
灰の中から、影の中から、闇の中から。
未来へ、明日へ、永遠へ。