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結果と過程から考えるAI

生成AIが普及してきて、数年が経過した。

今では自分が書いてきた小説を読んでもらって批評してもらったり、軽い小説だとAIのリライトと自分の文章を比較ができるところまできている。いつかAIと共同執筆で小説を書くということも可能かもしれない。

そういう希望のようなものを抱きながらAIと向き合っているが、友だちと組んでいるバンドの曲でびっくりすることが起きた。自分たちのバンドはインディーズバンドだし、アマチュアだから楽しんでバンドをしている。しかし音楽が好きだからこその真剣さもあって、制作中のアルバムは色んな音楽を聴いてきた自分たちならではの特別なものになりつつある。

つい先日、Suno AIがバージョン4.5にアップデートされた。そして自分たちのオリジナル曲をAIにカヴァーさせて、歌わせてみた。するとプロのバンドの曲のようになったのだ。

もちろん、AIが考え出すカヴァーはいつも素晴らしいわけではない。なかにはオリジナルの魅力を間違って出力した変なカヴァー曲もある。そういう例外がほとんどだけれど、なかには自分たちの演奏よりも優れたカヴァーもあるように思えた。

バンドも小説も試行錯誤の果てに、自分たちにしか生み出せないアートの領域へ迫るものを目指す。だから結果というのは、必ずしもお金ではない。もちろん売れれば正義と考えるバンドも小説家もいるだろう。そういう場合には、結果はお金である。

話を20年ほど前の過去へと舞台を移す。

大学のバンドサークルでオリジナル曲をつくっていた僕は、バンドサークルの一番の舞台である学園祭の夜のステージへの演奏を目標にバンド活動をがんばっていた。でも僕が所属していた2つのバンドは学園祭を前にいろんな理由で空中分解した。だから学園祭のステージに立つことは困難に思えた。しかし学園祭のオーディション前にのちにプロになる後輩が声をかけてくれて、新しいバンドを組み、そこで初めて満足のいくオリジナル曲が生み出せて、僕たちは学園祭のオーディションを通過し、夢の舞台に立った。

それは大学1年生の頃からすればまさしく夢が叶った瞬間だった。そして多くの友だちができた。

その友だちのひとりに、ある日、「結果か過程か、どちらが大切だと思う?」と訊かれた。

難しい問題のように思えたが、僕は「過程が大切だよ」と答えた。

そして舞台は現実に戻る。

僕はいろんな友人たちに、「いつか作家になる」と宣言してきた。そして実際に小説を書いた。でも時々、振り返ると自分の小説は何になったのか?と迷うこともある。

なんのためにバンドをしていたのか? なんのために小説を書いてきたのか?

これはとても難しい問いかけだ。

今のまま、ChatGPTが賢くなっていけばボタンひとつで優れた小説が生まれてくるかもしれない。そして現実にプロクオリティの曲が、僕たちのバンドのデモ音源から生まれている。

ここでどうしても、「結果か過程か?」という問題に引き戻されてしまうのだ。

例えば昔の作家は、紙に鉛筆(万年筆かもしれない)で小説を書いた。僕は自分の字が汚くてみていられないから手書きで小説を書くことはない。だからこの時の選択は、結果や過程を考える必要はなかった。僕はMacintoshで執筆する文筆家だからだ。そこには結果も過程もMacintoshを通じてという、強い信念がある。

昔はギターが好きだった。黒いギターを2本持っていて演奏をしていた。それから20年とか30年とか月日が過ぎると、ギターで演奏するという気にはなれなくなった。僕はギターが好きだったけれど、演奏は上手くなかった。ただオリジナルの曲を生み出すというところに、自分のアイデンティティがあった。

だからバンドでの成功体験の後は、ギターを手放し、DTM(デスクトップミュージック)で曲を作っている。実際にギターを弾かなくなったことで失われたものも多いと感じるが、手に入れたものも多いと感じる。

これも迷いのない選択だ。実際にギターを弾くよりも良い音楽がMacから生まれる。そう僕は信じて、Macを選んでいる。

小説を書くことも、音楽を生み出すことも、Macintoshへの愛着が今では生み出しているものだ。

でもこれからはどうだろう?

ある時、AIに歌詞も音楽もある程度の指定しかせずに、オリジナル曲を作らせてみた。

するとAIはある一定水準を超えたプロレベルの楽曲を作ってきた。人間が介在しない音楽。そういう小説や音楽が自分を超えてくることがあるのかもしれない。

昔は友だちと一音、一音、音を弾き、曲を作り、そして上手くいけば、多くの人の前で演奏ができた。そして多くの友だちができた。そこには結果も、過程もあった。

小説はどうだろう? 小説で友だちはできなかったけれど、自分の考えてきた様々なことが結晶したような作品群ができた。そして妻と結婚できた。だから、小説だって、手書きではないけれど自分で実際に書いてきて良かったと思える手応えがあった。

全部、AIに作らせたら、なんの手応えもなく、ただ良いなと思うAIの曲が生まれた。

その曲は、自分たちが生み出してきたものよりも遥かに凄い曲かもしれない。

でもそこには過程がない。

もちろん、人類の叡智としての過程はあるかもしれない。でも自分たちで作ったという感触がない。

結果と過程。時代は移り変わっていって、過程なんかよりも結果が大切かもしれない。

でも自分たちで生み出したという過程は、いつまでも大切であるように思う。

人類の叡智としてのAI。そんなAIがいつか誕生するかもしれない。でも僕たちが歩いてきた道は、無駄ではないと信じたい。