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短編音楽小説#83 With you -dairu

 

 

聴こえてくるのは、光のようなピアノの粒。
それは音というより、記憶の深い層に触れる柔らかな光の反射だ。
まるで水面に小さな石を落としたときに広がる波紋のように、静かに、けれど確かに、私の内側に揺らぎをもたらす。

 

コードが、空気の中に浮かんでいる。
どこにも向かわず、ただ在り続けている和音。
その響きのなかで、時間はすこしずつ輪郭を失っていく。
時計の針の音すら聴こえない。ただ、無音のすきまに浮かぶ音楽が、私を包んでいる。

 

そのすきまに流れるのは、誰にも知られないための時間。
誰かに共有することを前提としない、名もなきひととき。
SNSにもアップされず、分析もされない、透明で孤独な時間。
けれどその孤独は、どこか温かい。
私が私として在ることを、許してくれているような温度がある。

 

この音楽は、私の思考をやさしくほどいていく。
何層にも重なって絡まり合っていた言葉の糸が、少しずつ解けて、
あらわになった感情が、静かに呼吸を始める。

 

たとえば、言葉にできなかった感情。
伝えようとすると濁ってしまい、喉の奥に沈んでいった気持ち。
わけもなくこみあげた涙や、理由を持てなかった不安のかたち。

 

たとえば、過去と未来の狭間でふと感じた寂しさ。
今日でもなく、明日でもなく、「いま」のなかに浮かんでくる孤独。
それは消すことも、説明することもできず、
ただ、そっと抱きしめられるのを待っていた感情だった。

 

たとえば、誰にも渡せなかった優しさ。
言葉にすれば軽くなるような、沈黙のなかだけに存在できた思い。
触れることすら躊躇った感情たちが、今、音とともに、静かにほどけていく。

 

すべてが、音とともに、消えていく。
でも、それは忘却ではない。
消えるというのは、終わりではなく、赦しなのだ。

 

ただ、もう持ち歩かなくていい、と知ること。
過去を否定せずに、ただそこにあったものとして手放せること。
それは、とても小さな自由の感覚だ。
それだけで、私はまた、少しだけ呼吸が深くなっていく。

 

私は、またひとつ、音に救われていく。
耳からではなく、存在の輪郭そのものから癒されていく。
音楽が流れているというよりも、
私という存在そのものが、音楽のなかに置かれているような感覚。

 

部屋は静かで、
けれどその静けさは、何かを欠いた無音ではない。
それは音楽によって満たされた沈黙、
まるで「音が消えたあとに残る、音の記憶のような空間」。

 

音楽だけが、私のなかを静かに生き

誰も見つけられない場所で、確かに生きている。

【アーティスト情報】

Dairuは2025年5月9日にシングル『With You』をリリースした音楽家で、Apple Musicによると最新リリースは『With You – Single』です。代表曲『With You』はミニマルなメロディーと静かな旋律が特徴です。詳しくはDairu公式ページ【英語】をご覧ください。

 

**紹介アーティスト:** dairu
**楽曲:** With you

で聴く](https://music.amazon.com/search/dairu%20With%20you)