音楽は、記憶を連れてくる。
大学時代にバンドをしていたけれど、その友だちたち3人で昨年からアルバムを制作している。
アルバムを作っているといっても、曲が生まれてきて歌詞を書き、スタジオに何度かはいり、ようやくYoutubeで少し公開しただけだ。
僕たちみたいな無名の存在は、実際に一般に流通するクオリティの音源を作ろうとすると、どうしても生活に支障が出てくる。プロのミュージシャンではないのだ。
それでも10曲以上、歌詞を書いて曲ができれば音楽のアルバムとは何か?ということがわかってくる。
1曲、1曲はそれぞれ独立した曲なわけだけれど、それらが積み重なってくると、写真のアルバムのように音と記憶のアルバムになっていくのだ。
だからリスナー(聴く人)が、あの時代のあの時の曲が懐かしいと思い浮かべることは間違いではない。曲は制作者の人生のどこかの隙間から確かに鳴らされ、それはその時、その時にしか生み出せない種類のものだからだ。
写真のアルバムは姿、形を映す。記録する。では音楽のアルバムはどうだろう?
歌詞を何曲も書いていて、そこにひとつのストーリーが生まれそうになる。
そしてあの時のことを思い出す。
そういう力が音楽にはあって、それは制作者だけではなく、聴く人をも巻き込む体験になっていく。
小説を書くこととは違って、そこにはバンドのメンバーがいて、曲を作る時に交わした会話があって、様々なことが音という記録として残る。
音楽のアルバムとは、こういうものだったのかということが理解できてくる。
小説となると、それは個人的すぎて書いていた時がいつかとか、そんなに思い返せないものだけれど、音楽のアルバムは明確にその時のことが思い出せる。
だから大学時代の音楽サークルで、もしアルバムを作れていたらなぁと思う。
当時、制作できたのはデモテープだけで、今は聴くことができない。
しかも当時は、ギターを弾いていただけで歌詞まで書いていなかったから、書いておけばよかったなと思う。
小説「Bird1」で当時のことを原体験として小説を書いたけれど、もちろんフィクションも混じっている。でも当時のことを、もの凄く時間をかけて思い出しながら、意外と書けたことは、ほんの少しだった。
もしプルーストの「失われた時を求めて」みたいな大長編になってしまったら、とんでもなかった。
そういう意味では、ひとり孤独ななかで小説を書くだけよりも、友だちたちとバンドをしてアルバムを作るということは、とても楽しい。たとえそれが歪んだ音のものであったとしても。
そして僕は、昔、友だちたちに小説を書くよと言っていたように、今度はバンドでアルバムを作るよと、ここで約束をしておく。